Monthly Archives: 9月 2012

湖北“東山道/中山道を往く”(4)~鎌倉幕府終焉の地・蓮華寺

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

 

滋賀県教育委員会文化財保護課主催「ブロガーによる歴史探訪情報発信」企画として、湖北“東山道/中山道”界隈に佇む歴史の魅力を紐解くシリーズ。今回から錦秋・後篇をお届けいたします。

 

 

第4回目は、鎌倉幕府終焉を決定付けた地の1つであった、蓮華寺(れんげじ)を訪ね歩きます。

 

 

JR東海道線・米原(まいばら)駅から東へタクシーで約5分、北陸自動車道・米原インターチェンジから南へ約5分の位置。

 

 

中山道沿いにはかつて、第62番の宿場、番場宿(ばんばじゅく)がありました。その宿場町の中ほどに、蓮華寺はあります。

 

 

この寺院の開祖は聖徳太子と伝えられ、今から約1300年前に開山。当初は寺号を法隆寺と称していたそうです。

 

 

しかし鎌倉時代中期の建治2(1276)年6月1日。落雷によって堂塔はことごとく消失してしまいます。

 

 

その後、弘安7(1284)年。諸国を遊行教化していた一向俊聖(いっこうしゅんしょう)がこの地を訪れ、念仏を広めます。

 

 

この地の地頭で鎌刃城主であった土肥元頼(どひもとより)は一向に深く帰依し、この荒廃した寺院を再興。

 

 

一向を中興の祖として迎え、寺号も八葉山蓮華寺と改称して現在に至ります。

 

 

こちらは樹齢700年ともいわれる一向杉

 

 

蓮華寺の開祖・一向はこの地で荼毘に付され(火葬され)、その後に杉を植樹したと言い伝えられています。

 

 

平成14(2002)年5月には滋賀県指定自然記念物に選定されています。

 

 

再興のもう1人の功労者である土肥元頼の墓も、本堂横にひっそりと佇んでいます。

 

 

現在この宝篋印塔は米原市指定文化財となっています。

 

 

ちなみに蓮華寺の名称は、一向の師匠であった良忠(りょうちゅう)が鎌倉に構えていた自坊の旧名から引用したとのことです。

 

 

室町時代にも応仁の乱の余波を受け再び焼失の憂き目を見ますが、戦国時代には再興されています。

 

 

 

これ程に不死鳥の如く蘇ることが出来たのは何故でしょう?

 

 

蓮華寺の正面には勅使門(ちょくしもん)と呼ばれる重厚な建物があります。

 

 

この門の中央には、十六八重表菊(俗称:菊の御紋)が今日でも燦然と輝いています。勅使(天皇からの使者)のための門をわざわざ設置しているところに、皇室との深い繋がりを伺わせます。

 

 

 この蓮華寺は古くから皇室からの帰依が厚く、特に花園天皇(第95代天皇)の御代には勅願寺としての勅許を受け、寺紋として十六八重表菊を下賜されたそうです。

 

 

また、この記事冒頭の写真には色鮮やかな扁額を掲載しておりますが、これは江戸時代初期に後水尾天皇(第108代天皇)御宸筆によるもの。このような皇室からの手厚い庇護が、蓮華寺を何度も甦らせたように思います。

 

 

さて蓮華寺には2つの大きなエピソードが残っています。

 

 

元弘3(1333)年。

 

 

当時の六波羅探題北方であった北条仲時(ほうじょうなかとき)は、後醍醐天皇(第96代天皇)の綸旨に呼応して挙兵した足利尊氏によって六波羅探題を攻められ敗走。仲時はかつて討幕の反乱(元弘の乱)を起こした後醍醐天皇を捕え、隠岐國に配流した張本人でした。

 

 

六波羅探題南方の北条時益とともに、光厳天皇(後に北朝初代天皇とされる)・後伏見上皇・花園上皇を伴って鎌倉へ落ち延びようとします。

 

 

しかし道中の近江國で野伏(のぶし/地侍や農民の武装集団)に襲撃され、時益は討死。

 

 

5月9日。仲時は番場峠で再び野伏に襲われ、さらに佐々木(京極)道誉の軍勢にも行く手を阻まれます。

 

 

進退窮まった仲時は皇族方の玉輦(ぎょくれん/天子や貴人の乗り物)を蓮華寺に移し、最期の戦いを敢行。

 

 

しかし奮戦虚しく敗退を喫し、仲時以下一族郎党432人は蓮華寺前庭にてことごとく自刃しました。

 

 

その時の鮮血が前庭から川のように流れたため、その場所を血の川と称したそうです。

 

 

その後天皇と上皇は、道誉に保護されて京都へ戻されました。そしてこの日から13日後の5月22日。鎌倉幕府は北条一族と共に滅亡します。

 

 

当時の第3代住職・同阿良向が自刃した北条一族に法名を与え、一巻の過去帳に姓名・年齢と共に登載したのが紙本墨書陸波羅南北過去帳で、現在は国指定文化財として厳重に金庫に保管されています(公開されているのは写本で、実際は432人のうち姓名が確認できた189人を記載)。

 

 

後に1人1人に与えられた法名をもとに造られた一石五輪塔は当初境内のあちらこちらに散逸していましたが、近代になって整備され現在の姿となっています。

 

 

ちなみに肝心の仲時の供養塔はここにはありません。実は江戸時代にある彦根藩主(井伊家)が馬に乗って蓮華寺を参拝した折、その夜「我を馬上から見下ろすとは何事ぞ」と夢の中で仲時が叱責したため、北向かいにある六波羅山の頂上に仲時の墓だけを移転したのだとか。

 

 

現在は深い藪に阻まれ、地元の方でもなかなか近付けない状態にあるようです。

 

 

もう1つのエピソードは、彼の有名な侠客・番場忠太郎(ばんばのちゅうたろう)についてです。

 

 

国定忠治・清水次郎長に並び名を馳せた侠客・番場忠太郎は、長谷川伸の戯曲『(まぶた)の母』の主人公ではありますが、実はこの3人の中で唯一の“架空の人物”なのです。

 

 

昭和5(1930)年に文壇で発表されて以降人気を博し、その後これを題材として数多くの映画・演劇・ドラマ・浪曲・歌謡曲が輩出されました。

 

 

蓮華寺はこれに因み番場忠太郎地蔵が安置され、供養塔まで建立されています。その供養塔には錚々たる昭和の名優達が寄贈者として名を連ねています。片岡仁左衛門・島田正吾・片岡千恵蔵・長谷川一夫などなど・・・時代劇ファンにはたまりません(^^)

 

 

その他にも、大正から昭和時代前期にかけての歌人でアララギ派の重鎮でもあった斎藤茂吉の歌碑もあります。

 

 

茂吉は第49代住職・佐原窿応(さはらりゅうおう)を師と仰ぎ、度々ここを訪れては多くの歌を詠んだそうです。

 

 

句碑には「松風の 音聞くときは 古への 聖の如く我は寂しむ」と刻まれています。

 

 

中世から近代に至るまで様々なエピソードに彩られた蓮華寺。

 

 

その数奇な歴史の舞台に、一度身を委ねてみては如何でしょうか。

 

 

今回蓮華寺檀家世話役の皆さんには全面的にご協力を賜りました。この場を借りまして厚く御礼申し上げます。また今回訪問時には本堂改修工事を実施しており、敢えて本堂外観の写真を掲載いたしませんでした。

 

 

蓮華寺

滋賀県米原市番場511
TEL.0749-54-0980
拝観料:300円

※写真撮影は本企画にて特別に許可されたものですので予めご了承ください。

 

 

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伝統と革新のハーモニー“大極殿本舗 栖園”

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

 

今回は「家族サービス」を兼ねた浪漫回廊探訪外伝・京都篇です。

 

 

学生の頃に4年、卒業後社会人として4年半。トータル8年半に渡り、あちこちを放浪していた京都。結構“知り尽くしの人”のつもりでいたのですが・・・40代になって、まだまだ知らないところがあることを思い知らされる今日此頃です(苦笑)。

 

 

“京都を巡る”となれば定番として「神社仏閣」「ショッピング街」となるのですが、私は“偏屈者”ですので、今回は裏通りを歩きました。

 

 

六角通(ろっかくどおり)。“姉三六角蛸錦(あねさんろっかくたこにしき)”の六角。四条通と御池通のほぼ中間を東西に結ぶストリートです。通り名の由来は、烏丸通と東洞院通の間にある天台宗頂法寺・六角堂(ちょうほうじ・ろっかくどう)に由来します。

 

 

この六角堂、縁起によれば開祖は聖徳太子(厩戸皇子と言った方がいいですかねぇ?)とか。平安京造営の際、ここが建設予定の街路中央に位置するため取り壊されそうになった時、何処からともなく黒雲が現れ、堂が自ら五丈(約15m)北へ移動したという逸話も残っています。

 

 

また聖徳太子沐浴の池跡があり、この池の畔に小野妹子を始祖と伝える僧侶の住坊があったので、池坊(いけのぼう)と呼ばれるようになりました。

 

 

代々池坊の僧は六角堂に花を供えていたのですが、その生け方に別格の妙技を見せることで評判となったことから、ここが“生け花発祥の地”と呼ばれるようになったとのことです。池坊で家元を継承する際に得度(僧になるための儀式)を受けるのは、こういう経緯があるからなんですね。

 

 

ちなみに堂の形状が“六角形”であることに由来して六角堂と呼ばれているのですが、建物が何故“六角形”をしているのかは意外にも知られていません。六角堂のご詠歌には、「わが思う心のうちは六の角ただ円かれと祈るなりけり」という一節があります。「六の角」とは六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)によって生ずる六欲のことを表します。人間の欲望(煩悩)を脱して角を無くし円満になること。即ち「六根清浄を願う」という祈りを込めて、六つの角を造ったとのことです。

 

 

どのようなことにも「込められた想い」というものがあるんですねぇ。

 

 

さて、実は「六角通を散策する目的は“六角堂”にあらず」でして…本丸は“六角通高倉東入ル”にあります。

 

 

創業明治18年。京都でいち早くカステラを販売した和菓子の老舗、大極殿本舗(だいごくでんほんぽ)。その茶寮である甘味処“栖園(せいえん)”です。“酒”も好きですが、“甘い物”にも滅法眼がない“両刀使い”の私なのでした(^^)

 

 

住宅やビルが建ち並ぶ通りの中で、京町屋の佇まいと大きな暖簾(のれん)が一際目立ちます。

 

 

この玄関の暖簾ですが、通常は写真の「大極殿の商号」が掲げられます。なお大晦日から小正月に掛けては「日の出」、2月は「雪」、祇園祭の頃には「朝顔」の暖簾に変化するという、とても風流な趣向が施されます。

 

 

狭い京町屋でしかも販売店も兼ねており、席数は20しかありませんが、予約すれば奥の座敷に案内してもらえます。落ち着いた古い町屋の雰囲気に、ガラス越しに見える小さな枯山水(かれさんすい/石や砂などにより山水の風景を表現する庭園様式)がとても心を和ませます。

 

 

以前テレビ東京の番組『和風総本家』で紹介された影響もあってか、かなり順番を待ちました。さて私がお目当てにしてきましたのは、この茶寮きっての名物、琥珀流し(こはくながし)です。

 

 

琥珀流しは2種類の食感(固い・柔かい)を持つ寒天をベースとした和風デザートで、同じメニューの名前ながら、毎月趣向が変わるというとても「和菓子の老舗らしからぬ」逸品です。

 

 

 

 

毎月趣向が変わるとは…???

 

 

 

1~3月は“寒中休み”ということでメニューから外されますが、4月は桜蜜、5月は抹茶小豆、6月は梅酒蜜、7月はペパーミント、8月は冷やし飴、9月は葡萄、10月は栗、11月は柿、12月は黒豆と「味のベース」が変更されるのです。

 

 

9月は葡萄(ぶどう)ですので、こんな感じです。

 

 

寒天に葡萄のソースがふんだんに絡められ、その上には白の干し葡萄があしらわれています。

 

 

まだまだ残暑厳しい折、心身ともに涼感を得ることが出来ました。

 

 

帰りに、これまた大極殿本舗・夏菓の代名詞であるレース羹(かん)をお土産に求めました。

 

 

レース羹とは、琥珀色の寒天にレモンの輪切りが散りばめられた棹物(さおもの)の和菓子です。こちらも「和菓子の老舗らしからぬ」逸品です。

 

 

女将さんから「紅茶ともよく合いますよ」と教えていただいたので、是非試してみたいと思います。ちなみに肝心要の“カステラ(こちらの商品名は「かすていら」)”は売り切れでした…残念<(TOT)>

 

 

伝統文化を守るという“ピンと張りつめた意趣独特の空気”が色濃く漂う“京都”で、「常識にとらわれない自由な発想」を老舗に教えてもらった…そんな気分の古都の昼下がりでした。

 

 

異なる月に毎年一度は訪れてみたいですね。
「日本っていいな。ねっ、豆介」…ワン!(^^)

 

 

大極殿本舗 栖園

京都府京都市中京区六角通高倉東入ル南側
TEL.075-221-3311
【営業時間】 10:00~18:00
【定 休 日】  水曜日

 

 

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ブロガーによる歴史探訪情報発信  ~湖北“東山道/中山道を往く”INDEX

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

 

6回に渡り、滋賀県教育委員会文化財保護課主催の「ブロガーによる歴史探訪情報発信」企画としまして、湖北“東山道/中山道”界隈に佇む歴史の魅力を紐解くシリーズ。

 

 

前篇3回を終え、ここでインターミッションです。

 

湖北“東山道/中山道を往く”(1)~湧水の郷・醒井

湖北“東山道/中山道を往く”(2)~if・・本能寺の変は無かった!?成菩提院

湖北“東山道/中山道を往く”(3)~伊藤博文を一喝した高僧の僑居・青岸寺 

 

 

9月から10月にかけて後篇をお届けする予定です。

 

湖北“東山道/中山道を往く”(4)~鎌倉幕府終焉の地・蓮華寺

湖北“東山道/中山道を往く”(5)~お灸と福助の郷・柏原

湖北“東山道/中山道を往く”(完)~The mononofu’s memorial 徳源院

 

どうぞご期待ください!

 

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