湖北“東山道/中山道を往く”(3)~伊藤博文を一喝した高僧の僑居・青岸寺

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

 

滋賀県教育委員会文化財保護課主催「ブロガーによる歴史探訪情報発信」企画として、湖北“東山道/中山道”界隈に佇む歴史の魅力を紐解くシリーズ。

 

 

第3回目は、かの初代総理大臣・伊藤博文を一喝した高僧の僑居(きょうきょ)であった寺院、青岸寺(せいがんじ)を訪ね歩きます。

 

 

JR東海道線・米原(まいばら)駅東口から国道8号を渡り、東に約500mの山裾。徒歩約5分の位置に青岸寺はあります。

 

 

ちなみに僑居とは別に「寓居(ぐうきょ)」とも称し、所謂“仮暮らし”の家を指します。もっと簡単に言えば、某アニメに登場する「アリエッティ」の家みたいなものです(^^)

 

 

この寺院は室町時代初期の延文年間(1356~1381年)、バサラ大名として名高い近江守護職の佐々木(京極)道誉によって開創された米泉寺が起点となっています。

 

 

 

室町時代後期の永正元(1504)年。にわかに騒然としていた時世の煽りを受け、兵火で焼失してしまい、没落の一途を辿ります。

 

 

それから時が流れること約150年、江戸時代初期のこと。井伊家とともに近江國に入國し、彦根の大雲寺三世和尚となっていた要津守三がたまたま当地を訪れた際、荒れ果てた米泉寺の状況にひどく心を痛めます。

 

 

そして慶安3(1650)年、第3代彦根藩主・井伊直澄(いいなおずみ)の命を受け入山。敦賀の伊藤五郎助の惜しみない支援のお陰で、無事再興を果たします。

 

 

しかし最大の理解者であり支援者でもあった五郎助は、明暦2(1656)年に亡くなってしまいます。守三はこれを悼み、五郎助の功績を後世に伝えるへく、諡(おくりな/生前の行跡に基づいて死後に贈られた名前のこと)であった“青岸宗天” を以って、寺名を青岸寺と改め今に至るのです。

 

 

青岸寺といえば、やはり国の名勝にも指定されている築山林泉式枯山水庭園でしょう。

 

 

庭園は守三入山と共に築庭されたものですが、後に彦根城欅(けやき)御殿に玄宮園(げんきゅうえん)・楽々園造営の際に庭石が持ち出されて消滅してしまいました。

 

 

現在の庭園は、当時大雲寺和尚・興欣が隠棲するにあたり、楽々園の作事方であった彦根藩士・香取氏により延宝6(1678年)に再生されたものです。

 

 

こちらの庭園の特徴は、枯山水特有の白砂や土を用いず杉苔(スギゴケ)で再現されているところにあります。

 

 

住職御令室のお話によりますと、この杉苔はこれまでどのような猛暑や渇水に見舞われても決して枯れたことがないのだとか。

 

 

また大雨ともなると、枯山水にも関わらず枯池泉が水で満たされるのだそうです。いかにこの地の伏流水が豊富であるかを物語っています。

 

 

また右の写真のような和洋折衷寄灯篭という奇妙なものも存在します。

 

 

どのような経緯でこのような形態となったかは定かではありませんが、庭園再興時に上下別々で持ち込まれこのようにドッキングしたものと推測されます。ちなみに下の部分はキリシタンに関連するもののようです。

 

 

さてこの青岸寺には近代に入って、とても面白いエピソードが残っています。

 

 

この庭園の北方の小高い場所に、六湛庵(ろくたんあん)と称する一軒の書院が建てられています。

 

 

園景にとても溶け込んでいるのでさぞかし古い建造物と思いきや、実は明治37(1904)年から3年掛けて建てられたもの。建造されて未だ100年余りの建物なのです。

 

 

こちらは、曹洞宗の総本山・永平寺の第64世貫首であった森田悟由(もりたごゆう)が、地方への布教活動に赴く際、当時交通の要衝であったここ米原に旅の宿として建てたものなのです。ちなみに六湛庵の名前の由来は、森田悟由の号であった“六湛”からきたものだと言われています。

 

 

森田悟由は明治期に活躍した曹洞宗の僧で、天保5(1834)年1月1日尾張国知多郡大谷村の生まれ。

 

 

ちなみにあの世界的AVメーカー・ソニーの創業者の1人である盛田昭夫氏もこの地の出身です。

 

 

金沢の天徳院住職を経て,明治24(1891)年に第64世貫首となり、明治28(1895)年には曹洞宗管長に就任。

 

 

宗規の改正や宗門の振興に多大な功績を遺した人物です。

 

 

実はこの悟由にとても心酔していた明治政府の大物がいたのです。それは何と、大日本帝国初代内閣総理大臣・伊藤博文です。

 

 

悟由と博文が初めて会見を持ったのは明治27(1894)年のこと。

 

 

当時日本は日清戦争の真っ只中で、大本営を広島に置いていました。

 

 

この時広島を訪れていた悟由は、参謀総長や諸大臣と会見を持った後、博文に謁見します。

 

 

会談は約1時間に及び、博文はこれを契機に悟由の徳風をとても信奉するようになったといいます。

 

 

日清戦争後、博文は立憲政友会を組織して全国遊説を行います。3名の同志を従え悟由を訪ねた博文は、そこで戦争勝利へと導いた自身の功績や苦労話を延々と語るのです。

 

 

これを聞いた悟由は博文に対し、

 

 

「自身の功績を自慢げに話すものは、それ以上の功績を得ることは叶わない。功績を忘れ去ることこそが真の功績であることを知るべきである。功績に甘んじていて、これ以上の一歩を踏み出せるものだろうか。実に惜しいことである」と一喝したそうです。

 

 

悟由が愛したこの書院は、その清貧な人柄を表すかのように質素でとても清々しい空気感を今でも漂わせています。

 

 

ちなみに青岸寺では、この清々しい空気の中で精進料理をいただけます。春夏秋冬、庭園の移ろいとともに、四季折々の食材で季節の味を堪能することができます。

 

利用には2名以上、前日までの電話予約が必要ですが、住職御令室と娘さんが真心込めて作られた洗練された味を是非ともご賞味ください。料金は1名様拝観料込みで2,500円です。なお抹茶を始め、珈琲や甘味などもございます。

 

 

今回青岸寺住職御令室には全面的にご協力を賜りました。この場を借りまして厚く御礼申し上げます。

 

 

当ブログもリフレッシュのための夏季休暇を頂戴いたします。次回記事は8月22日(水)公開の予定です。その間、ちょっと静かな場所で執筆活動に勤しむ所存です(^^)

 

 

青岸寺

滋賀県米原市米原669
TEL.0749-52-0463
Web:http://www.seiganji.org/(財団法人 青岸寺庭園保存会)
拝観料:300円

※写真撮影は本企画にて特別に許可されたものですので予めご了承ください。

 

 

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