Daily Archives: 2012年6月6日

NHK大津放送局共同企画“彦根城に行政代執行?された寺”(前篇)

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

 

今回はNHK放送記念企画といたしまして、2回シリーズでお届けいたします。なおオンエア予定は以下の通りです。何の因果か思いっ切りAKB選抜総選挙とバッティング(笑)ですが、是非!・・・いや出来れば・・・いやいやお時間の許す範囲でご覧くださいまし<(_ _)>

 

 【滋賀ローカル】
おうみ発610 「おうみ探検隊」
2012年6月6日(水) 18:10〜19:00内の5分枠

【関西ローカル】
ぐるっと関西おひるまえ
2012年6月11日(月) 11:30〜12:00内の5分枠

※放送の編成の都合により変更される場合あり。

 

さて唐突ですが、皆さん自分の住んでいる街の“地名の由来”ってご存知ですか?

 

 

これって突き詰めていくと実に奥が深いんです。昔誰かに「水と関係のある地名の場所に家を建てるな!」なんて言われたことがあるのですが…私いま「水」にゆかりのある地名の場所にしっかり住んでいます(>_<)

 

 

さて滋賀の観光名所の代表格である彦根城

 

 

この城がある“彦根”という地名は「彦根城が出来たから」なんて思っておられる方も多いのではないでしょうか。

 

 

答えは「残念~×××!」

 

 

正解はコチラ。

 

 

神代の時代、活津彦根命(いくつひこねのみこと/アマテラスとスサノヲによって生み出された五男三女神のうちの四男)がこの地(現在の彦根山)に降り立ち、祀られたことに由来するのです。

 

現在でも彦根市後三条町には、この彦根の名の由来となった活津彦根命を祀る彦根神社が鎮座しております。

 

 

どのような経緯でこの地に祀られているのかは不明ですが、彦根の名のルーツを今に守り伝えています。

 

 

その神様が降臨された彦根山に、今から約400年前「彦根城」は築城されたのですが、実は何もないタダの山に建てられたワケではないのです。

 

 

関ヶ原合戦の後領主として近江國(滋賀)にお国入りした井伊直政(いいなおまさ)は、一旦かつての西軍大将・石田三成の居城であった佐和山城に入城します。

 

 

しかし戦国期さながらのこの山城はとても使い勝手が悪かったため、新たな城の築城を検討することとなりました。

 

 

直政は磯山(彦根市・米原市の琵琶湖岸境界)を最有力候補としていましたが、戦傷が癒えずに志半ばで死去。後継者である直政の長男・直継(なおつぐ)は幼少であったため、家老の木俣守勝(きまたもりかつ/木俣家は以後井伊家の筆頭家老の家柄となる)が徳川家康と協議して、彦根山に築城することを決定します。

 

 

築城ケテ~イ!”となったはいいのですが、困ったことが1つ。山頂近くにあった由緒正しき古刹、金亀山彦根寺(こんきさんひこねじ)の存在です。

 

 

彦根寺(一説には彦根西寺とも)は奈良時代、元正天皇(げんしょうてんのう/奈良の大仏建立を推進した聖武天皇の伯母)の勅願により、中臣鎌足(なかとみのかまたり/藤原氏の祖)の孫で近江国の国司(こくし/国から派遣された地方行政官)だった藤原房前(ふじわらのふささき)によって、720年に建立されました。

 

 

この寺では、高さ一寸八分(約5.45cm)の金の亀に乗った聖観世音菩薩像を本尊として安置したと伝えられており、当初彦根山であった山号を後に金亀山(こんきさん)に改称しています。彦根城が別称金亀城と呼ばれるのは、ここに由来するのです。

 

 

当時この観音様は霊験あらたかなことで大変有名で、各地から参拝者が絶えなかったそうです。

 

 

平安時代後期の歴史書「扶桑略記(ふそうりゃくき)」によりますと、摂津国(現在の大阪府北中部と兵庫県南東部)に突然両眼を失明してしまった徳満(「とくみつ」ぢゃないよ…)という若い僧がおりました。

 

 

何とか視力を回復したいと京都・鞍馬寺に参詣しますが、ご利益を得ることが出来ませんでした。

 

 

今度は大和國(奈良県)の長谷寺に籠って祈念します。するとある晩、夢の中に老僧が表れて「近江國は彦根寺に参るがよい」と告げられます。

 

 

早速夢のお告げに従いこの彦根寺に辿り着きました。

 

 

そして一心不乱に3日間祈願したところ、明け方に蝋燭の火がぼんやりと見え始め、暫くしてクッキリと眼が見えるようになったのだそうです。

 

その他にも、平安時代には難聴寸前だった関白・藤原師道(ふじわらのもろみち)も祈願によってご利益を得たと伝えられています。

 

そんな奇跡のスピリチュアルエピソードが京で広まり、皇族や貴族からの厚い信仰を受けるのです。

 

 

ちなみにこちらの2点のイラストは、取材用にNHK大津放送局のキャスター・田中美紗貴さんが描いてくださいました。何故か取材クルーには不評で「編集でカットされるかも!?」との恐れから、ブログで公開させていただいております(^^)v

 

 

さて、その肝心の彦根寺。現在はどうなっているのでしょうか?

 

 

彦根城・西の丸の北隣に観音台(かんのんだい)と呼ばれる場所があります。

 

 

彦根藩時代はここに出郭(でくるわ:合戦の際に人質を閉じ込めておく場所)が設置されていました。

 

 

そこがかつての彦根寺の跡であったと伝えられています。

 

 

な~んにも残っていません。

 

 

ここに平安時代屈指のパワースポットがあったとか、彦根の地の原点とも言うべき産土神(うぶすながみ:土地を守護する神)が祀られていたというよすがは全くありません。

 

 

ただ今でもそこから眼下に広がる琵琶湖の眺望は絶景!

 

古人もさぞかしここからの眺めに心癒されたことでしょう。

 

 

 

また彦根城の太鼓門櫓(重要文化財)の門はかつての彦根寺の山門を移築したものであったと考えられていました。

 

 

門柱に残る釘穴は納札(おさめふだ)を打ち付けた痕であったとか、参拝者が着物の上に羽織る「おいずり」を掛けたものであったと言われていました。

 

 

昭和31~32年に実施された解体修理工事での建築部材調査で、残念ながら寺の山門で無かったことが判明しました。しかしこの釘穴の正体は、未だミステリーなままです。

 

 

さらに現在県道2号線となり、彦根市街では通称“ベルロード通り”と称する道路は、かつて巡礼街道と呼ばれていました。

 

当時は特に京からの参詣者で沿道は大変賑わっていたそうです。

 

巡礼街道の名称は40歳代以上の土着の市民なら存知しているのですが、その由来については殆ど認知されていません。

 

 

お恥ずかしながら、私の両親も全く知りませんでした(>_<)

 

 

沖縄の普〇間基地のように「最低でも県外」ってなワケにはいきません。かの“第六天魔王”織田信長なら、躊躇することなく「なぎ倒せ!焼き払え!」だったでしょう。

 

 

さてこの由緒正しき寺の運命やいかに・・・???

続きは後篇で・・・あ、でも今日の放送でネタバレしちゃうんだよなぁ(>_<)

 

 

前篇の締め括りに、今回の取材で見つけた街角の風景をひとつ。

 

 

とある地蔵堂での貼り紙。

 

「お地蔵様を、連絡もなく勝手に置かないようにして下さい(世話方)」

 

 

捨て子、捨て犬、捨て猫なんて言葉は聞いたことかありますが・・・捨て地蔵?なんてことがあるんですねぇ。

 

 

仏さんを置き去りにするとは・・・ホント世知辛い世の中になったものです(T_T)

 

 

それでは次週をお楽しみに!

 

 

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