「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>
今回は滋賀を代表する春の奇祭の1つ、帯掛ケンケト祭(おびかけけんけとまつり)についてのお話をいたしたいと存じます。
帯掛ケンケト祭は東近江市蒲生岡本町(がもうおかもとちょう)の高木神社、上麻生町(かみあそちょう)の旭野神社、下麻生町(しもあそちょう)の山部(やまべ)神社の三社合同で行われます。
祭の起源は何と800以上前までさかのぼるといわれ、国の選択無形民俗文化財にも指定されています。
滋賀には他にも竜王町・杉之木神社、甲賀市土山町・瀧樹神社にもケンケト祭がありますが、こちらでは木製の大太刀に7本の鮮やかな柄の丸帯を掛けた「帯」が用いられるためそう呼ばれています。
日本創生、神代の時代のお話です。
当時、天照大神(あまてらすおおみかみ)により高天原(たかまがはら)から地上へ追放された乱暴者の神様がおりました。
その神様は出雲國(いずものくに/現在の島根県)を拓かれて勢力を拡大し、近江國にも開拓のためその一族の神様がやってこられました。
蒲生野に麻生庄(あそのしょう)というところがありました。
この土地にまもなく神様がやって来られるということで、各集落の長は何かと気を揉んでおりました。
折からの豪雨で日野川が氾濫し、橋が流されてしまったのです。
国造りに忙殺されている神様のことですから他の集落に出向いてしまわれるのではと心配した村人たちは、急いで橋を補修することにしました。
しかし今から資材を調達したのでは間に合いません。
そこで男女の着物の帯を持ち寄って、木太刀1本に7筋ずつしっかりと結び付け、それを7本用意して仮の橋を造り上げたのです。
やがてこの地を訪れた神様は、この仮の橋をご覧になり大層お喜びになられました。
そして村人たちに、この地をより豊かなものにすることを約束されたのです。
これまで麻生庄は狩猟が主な生活の糧でしたが、神様は持参された稲の種を蒔かれたり、薬草を栽培されたり、水路を整備して農地を拓き、農耕の指導までなされました。
この神様こそ、“因幡の白ウサギ伝説”で名の知れた大国主命(オオクニヌシノミコト)でした。
集落の長たちは大国主命の偉業を称え氏神として祀り、その遺徳を後世に伝えるため帯掛ケンケト祭を行っているのだそうです。
ちなみにこのお話には異説が2つ存在します。
1つはこのお話のメインキャストが大国主命ではなく、奈良時代に平城京と東大寺を造営した聖武天皇(しょうむてんのう/第45代天皇)であるというもの。養老7(723)年の行幸が契機というもの。
もう1つは江戸時代の話。
関ヶ原合戦で東軍に与し、後に彦根の地を領することとなる井伊直政とともに戦功を挙げた関一政(せきかずまさ)は、徳川政権下で伯耆國(ほうきのくに/現在の鳥取県)・黒坂藩の藩主となりす。しかし元和4(1618)年、家中内紛を理由に改易。
御家断絶かと思われましたが、徳川家への貢献が考慮され家名存続が認められます。養子の関氏盛(せきうじもり)は、5,000石の旗本寄合席(はたもとよりあいせき/無役の上級旗本の家格)として蒲生郡を知行地とすることになりました。
氏盛は中山村(現在の蒲生郡日野町中山)に陣屋を構え、以降幕末まで関家が蒲生14ヶ村を治めました。
ある日のこと。氏盛が知行地となった麻生の村を巡検することとなり、村人は歓待の準備を整えました。しかし、日野川が氾濫して板の橋を全て流してしまいます。
困った村人は村中から立派な帯を7本掻き集め、急遽これを川に渡して帯の橋を作り上げたのです。
この見事な帯の橋を見た氏盛は大変満足し、麻生の村が幸福になるよう手厚い保護を与えたといいます。
この時から、帯の掛橋が村に貢献したことを忘れぬために、麻生へ嫁入りする者は何がなくとも帯だけは立派なものを持っていく定めになったそうです。
さて祭の最大の見せ場ですが、高木神社や旭野神社の境内で「七人子供」と呼ばれる年少の7人の子供がカンカという囃子(はやし)を奉納し、ケンケト組という年長の若者たちが長刀振りをするシーンです。
カンカの7人は鉦(しょう)や太鼓などを打ち、ケンケト組は紺半纏(こんはんてん)に黒角帯、脚袢(きゃはん)という装いで、長刀を持って踊ります。
長刀を自由自在に振り肩の上で回したり、両手で持った長刀を前後に飛び越えたりする光景はまさに曲芸そのものです。
この神事は三社と掛橋の場と呼ばれる日野川近くの“レッケバ”を、渡御しながら行われます。
その際に、色鮮やかな七本木太刀の帯の渡りも見ることができます。
今年は4月22日(日)に祭事が行われる予定です。とても静かな町で行われる絢爛豪華なお祭りですので、是非足をお運びください。
今回の記事編集に情報並びに写真をご提供いただきました東近江市教育委員会文化財課様、東近江観光協会の西さん、「Nanidoko淡海」の鯉鮒鮎さん、「祭礼探訪」の風太郎さん。この場を借りまして厚く御礼申し上げます。
(※この記事は「滋賀サクの歴史浪漫奇行」にて2011年4月19日に掲載したものを加筆修正しております。)
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