史実は鏡の宿にあり!“源義経元服”の伝説

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

 

いまひとつ盛り上がらない大河ドラマ『平清盛』を後方支援(?)するために、今回は清盛とも因縁浅からぬ源義経の元服についてのお話をいたしたいと存じます。

 

 

元服(げんぷく)とは今でいう成人式のことです。特に武家では、烏帽子(えぼし/平安期から近代までの和装礼装時に成人男性が着装する帽子)を烏帽子親(元服に於ける後見人で通常は2名で執り行う)から戴冠してもらい、それまでの幼名から元服名に改名するという儀式があります。

 

 

義経は平治元(1159)年、源義朝(みなもとのよしとも)の九男としてこの世に生を受けました。

 

 

幼名は皆さんご存知、牛若丸です。

 

 

しかし翌年、平治の乱の謀反人として父が敗死。まだ乳呑児であった牛若丸は、母の常盤御前(ときわごぜん)が敵将・平清盛に身を任せて助命嘆願したことから、生き延びることが出来ました。

 

 

牛若丸11歳の時。継父の一条長成(いちじょうながなり)からの出家の勧めもあり、鞍馬寺に預けられ、名も遮那王(しゃなおう)と改めます。

 

 

ですが自分が源氏の嫡流であることを知ると、独自に剣術の修業に励むようになります。そして承安4(1174)3月3日早暁、16歳の遮那王はついに出家を拒絶し鞍馬寺を出奔。

 

 

金売吉次(かねうりきちじ/奥州産出の金を京で商うことを生業としていた商人)と堀頼重(ほりよりしげ/源光重の三男で約1年に渡り自領にて義経を保護)の手助けを受け、藤原秀衡(ふじわらのひでひら)を頼るべく、一路奥州・平泉を目指します。

 

 

京を出て、まずは鏡の宿(かがみのしゅく/現在の蒲生郡竜王町鏡にあった東山道の宿駅)に宿泊します。

 

 

江戸時代以降は中山道の宿場として指定されず衰退しましたが、当時は遊女も多くとても繁盛していました。

 

 

一行は宿駅の長で長者でもあった澤弥傳(さわやでん)の屋敷&旅籠の「白木屋」に泊まることとなりました。

 

 

しかしあろうことかその夜、大盗賊・熊坂長範(くまさかちょうはん)が白木屋に押入ろうとします。これをいち早く察知した遮那王が盗賊たちを追い払い、弥傳から大いに歓待されることとなります(このお話は他にも「美濃青墓宿説(幸若舞『烏帽子折』より)」「美濃赤坂宿説(謡曲『烏帽子折』『熊坂』より)」が存在します)。

 

 

 

白木屋は戦後まで昔ながらの屋敷が残っていましたが、昭和30(1955)年の台風で倒壊し、現在はその跡に石碑が残るのみです。

 

 

さて表で早飛脚の話し声に耳を傾けますと、鞍馬よりの追手か平家の侍たちかが、稚児姿(ちごすがた/寺院で召し使われている子どもの姿)の者を探しているとのこと。

 

 

このままでは捕まってしまうと考えた遮那王は、烏帽子親の無いまま元服することを決意します。

 

 

 

宿駅の烏帽子屋五郎太夫(えぼしやごろうだゆう)のところで烏帽子を調度し、鏡池の岩清水で前髪を落としました。

 

 

そして鞍馬の毘沙門天と氏神の八幡菩薩を烏帽子親とし、太刀と脇差をそれに見立てて元服を執り行いました。

 

 

ここで遮那王は名を源九郎義経(みなもとのくろうよしつね)と改め、源氏の武将となり平氏打倒を誓うのです。

 

 

松の木に烏帽子を掛けた後、鏡神社に源氏の再興と武運長久を祈願しました。

 

 

その義経烏帽子掛けの松が鏡神社境内の入り口に残っています。

 

 

残念ながらこちらも明治6(1873)年10月3日の台風で折損してしまい、現在は幹株を残すのみです。

 

 

翌朝白木屋を出立する際に、義経はあらためて元服した姿を鏡池の水鏡に映します。

 

 

そして決意も新たに奥州へと旅立つのでした。

 

 

前述の鏡池は現在義経元服池と呼ばれ、道の駅「竜王かがみの里」の正面にあります。

 

裏山の石清水が滲み出して生まれた池で、水道が整備されるまでは近隣住民の生活用水として利用されていました。

 

国道整備の際に若干の移動を余儀なくされ、昔ながらの面影はやや薄れましたが、今でも水をたたえ神秘的な様相を呈しています。

 

 

今回の記事では詳しく触れませんが、この鏡の宿は義経元服の地であり、また義経自らの手で平家にピリオドを打った地でもあります。偶然の出来事だとは思いますが、私がこの事実を知った時「何という因縁だろう」と痛感しました。

 

 

最後にこんなお話で締め括りたいと思います。平成17(2005)年にNHKで大河ドラマ『義経』が放送されたのですが、何と“元服の地”を巡ってこんな騒動があったのです。

 

 

実は義経元服の地については諸説あるのですが、史実としては平治物語(へいじものがたり/平治の乱の顛末を描いた軍記物語)に記述のある鏡の宿説が最も有力視されています。

 

 

しかし作品では全く説の存在しない尾張國・内海庄(うつみしょう/現在の愛知県南セントレア市)を採用したのです。内海庄は義経の父・義朝最期の地であるためストーリーに躍動感を与えたかったというのがNHK側の見解ですが、地元・竜王町は猛反発したそうです。

 

 

後に10月16日放送の本編後に義経ゆかりの地を紹介する「義経紀行」で採り上げられることにはなり一段落しましたが、どちらかと言えば“平家終焉の地”としての解説がメインでした。果たして町民が切望していた内容であったか否かは定かではありません。

 

 

今も昔も大河ドラマは地域活性の起爆剤と捉えられていますから、竜王町民が浴びせられた冷や水に対する気持ちは十二分に理解出来ます。史実をとるか、視聴率獲得のための脚色をとるか……やっぱり“史実”は曲げちゃあいかんでしょうねぇ。

 

 

鏡の宿は現在国道8号が縦断し、頻繁にクルマが行き来しています。当時の面影はほとんど失われてしまいましたが、宿場町であった雰囲気はそこはかとなく残っています。

 

 

ご散策の際は道の駅・竜王かがみの里を拠点とされるのが大変便利です。但し交通量が非常に多いので、くれぐれも事故には遭われませんようご注意ください。

 

 

ちなみに…道の駅・竜王かがみの里では、2010年9月にこんなイメージキャラクターが誕生しました。

 

 

その名も何と『近江うし丸』君です!義経の幼名である“牛若丸”と滋賀の名産“近江牛”をコラボレートしたそうです。

 

 

私からのコメントですか?う~んう~ん……また別の機会にということで(>_<)

 

 

なお来る3月4日(日)に、竜王町鏡の鏡神社並びに道の駅「竜王かがみの里」にて、古式ゆかしき中世の成人式を再現した鏡の里元服式が開催されます。

 

 

既に一般参加の応募は締め切られましたが、昔の成人式である“元服”とはいったいどのようなものであったかを知る絶好の機会です。

 

 

源義経が元服したとされる時期に合わせて行われるこのイベントをお見逃しなく!

 

鏡の里元服式

【日         時】 3月4日(日)9時50分~14時00分

【会    場】 鏡神社/道の駅「竜王かがみの里」

【お問合せ】 竜王町観光協会 TEL.0748-58-3715

 

 

(※この記事は「滋賀サクの歴史浪漫奇行」にて2011年2月10日に掲載したものを加筆修正しております。)

 

 

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