Monthly Archives: 2月 2012

史実は鏡の宿にあり!“源義経元服”の伝説

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

 

いまひとつ盛り上がらない大河ドラマ『平清盛』を後方支援(?)するために、今回は清盛とも因縁浅からぬ源義経の元服についてのお話をいたしたいと存じます。

 

 

元服(げんぷく)とは今でいう成人式のことです。特に武家では、烏帽子(えぼし/平安期から近代までの和装礼装時に成人男性が着装する帽子)を烏帽子親(元服に於ける後見人で通常は2名で執り行う)から戴冠してもらい、それまでの幼名から元服名に改名するという儀式があります。

 

 

義経は平治元(1159)年、源義朝(みなもとのよしとも)の九男としてこの世に生を受けました。

 

 

幼名は皆さんご存知、牛若丸です。

 

 

しかし翌年、平治の乱の謀反人として父が敗死。まだ乳呑児であった牛若丸は、母の常盤御前(ときわごぜん)が敵将・平清盛に身を任せて助命嘆願したことから、生き延びることが出来ました。

 

 

牛若丸11歳の時。継父の一条長成(いちじょうながなり)からの出家の勧めもあり、鞍馬寺に預けられ、名も遮那王(しゃなおう)と改めます。

 

 

ですが自分が源氏の嫡流であることを知ると、独自に剣術の修業に励むようになります。そして承安4(1174)3月3日早暁、16歳の遮那王はついに出家を拒絶し鞍馬寺を出奔。

 

 

金売吉次(かねうりきちじ/奥州産出の金を京で商うことを生業としていた商人)と堀頼重(ほりよりしげ/源光重の三男で約1年に渡り自領にて義経を保護)の手助けを受け、藤原秀衡(ふじわらのひでひら)を頼るべく、一路奥州・平泉を目指します。

 

 

京を出て、まずは鏡の宿(かがみのしゅく/現在の蒲生郡竜王町鏡にあった東山道の宿駅)に宿泊します。

 

 

江戸時代以降は中山道の宿場として指定されず衰退しましたが、当時は遊女も多くとても繁盛していました。

 

 

一行は宿駅の長で長者でもあった澤弥傳(さわやでん)の屋敷&旅籠の「白木屋」に泊まることとなりました。

 

 

しかしあろうことかその夜、大盗賊・熊坂長範(くまさかちょうはん)が白木屋に押入ろうとします。これをいち早く察知した遮那王が盗賊たちを追い払い、弥傳から大いに歓待されることとなります(このお話は他にも「美濃青墓宿説(幸若舞『烏帽子折』より)」「美濃赤坂宿説(謡曲『烏帽子折』『熊坂』より)」が存在します)。

 

 

 

白木屋は戦後まで昔ながらの屋敷が残っていましたが、昭和30(1955)年の台風で倒壊し、現在はその跡に石碑が残るのみです。

 

 

さて表で早飛脚の話し声に耳を傾けますと、鞍馬よりの追手か平家の侍たちかが、稚児姿(ちごすがた/寺院で召し使われている子どもの姿)の者を探しているとのこと。

 

 

このままでは捕まってしまうと考えた遮那王は、烏帽子親の無いまま元服することを決意します。

 

 

 

宿駅の烏帽子屋五郎太夫(えぼしやごろうだゆう)のところで烏帽子を調度し、鏡池の岩清水で前髪を落としました。

 

 

そして鞍馬の毘沙門天と氏神の八幡菩薩を烏帽子親とし、太刀と脇差をそれに見立てて元服を執り行いました。

 

 

ここで遮那王は名を源九郎義経(みなもとのくろうよしつね)と改め、源氏の武将となり平氏打倒を誓うのです。

 

 

松の木に烏帽子を掛けた後、鏡神社に源氏の再興と武運長久を祈願しました。

 

 

その義経烏帽子掛けの松が鏡神社境内の入り口に残っています。

 

 

残念ながらこちらも明治6(1873)年10月3日の台風で折損してしまい、現在は幹株を残すのみです。

 

 

翌朝白木屋を出立する際に、義経はあらためて元服した姿を鏡池の水鏡に映します。

 

 

そして決意も新たに奥州へと旅立つのでした。

 

 

前述の鏡池は現在義経元服池と呼ばれ、道の駅「竜王かがみの里」の正面にあります。

 

裏山の石清水が滲み出して生まれた池で、水道が整備されるまでは近隣住民の生活用水として利用されていました。

 

国道整備の際に若干の移動を余儀なくされ、昔ながらの面影はやや薄れましたが、今でも水をたたえ神秘的な様相を呈しています。

 

 

今回の記事では詳しく触れませんが、この鏡の宿は義経元服の地であり、また義経自らの手で平家にピリオドを打った地でもあります。偶然の出来事だとは思いますが、私がこの事実を知った時「何という因縁だろう」と痛感しました。

 

 

最後にこんなお話で締め括りたいと思います。平成17(2005)年にNHKで大河ドラマ『義経』が放送されたのですが、何と“元服の地”を巡ってこんな騒動があったのです。

 

 

実は義経元服の地については諸説あるのですが、史実としては平治物語(へいじものがたり/平治の乱の顛末を描いた軍記物語)に記述のある鏡の宿説が最も有力視されています。

 

 

しかし作品では全く説の存在しない尾張國・内海庄(うつみしょう/現在の愛知県南セントレア市)を採用したのです。内海庄は義経の父・義朝最期の地であるためストーリーに躍動感を与えたかったというのがNHK側の見解ですが、地元・竜王町は猛反発したそうです。

 

 

後に10月16日放送の本編後に義経ゆかりの地を紹介する「義経紀行」で採り上げられることにはなり一段落しましたが、どちらかと言えば“平家終焉の地”としての解説がメインでした。果たして町民が切望していた内容であったか否かは定かではありません。

 

 

今も昔も大河ドラマは地域活性の起爆剤と捉えられていますから、竜王町民が浴びせられた冷や水に対する気持ちは十二分に理解出来ます。史実をとるか、視聴率獲得のための脚色をとるか……やっぱり“史実”は曲げちゃあいかんでしょうねぇ。

 

 

鏡の宿は現在国道8号が縦断し、頻繁にクルマが行き来しています。当時の面影はほとんど失われてしまいましたが、宿場町であった雰囲気はそこはかとなく残っています。

 

 

ご散策の際は道の駅・竜王かがみの里を拠点とされるのが大変便利です。但し交通量が非常に多いので、くれぐれも事故には遭われませんようご注意ください。

 

 

ちなみに…道の駅・竜王かがみの里では、2010年9月にこんなイメージキャラクターが誕生しました。

 

 

その名も何と『近江うし丸』君です!義経の幼名である“牛若丸”と滋賀の名産“近江牛”をコラボレートしたそうです。

 

 

私からのコメントですか?う~んう~ん……また別の機会にということで(>_<)

 

 

なお来る3月4日(日)に、竜王町鏡の鏡神社並びに道の駅「竜王かがみの里」にて、古式ゆかしき中世の成人式を再現した鏡の里元服式が開催されます。

 

 

既に一般参加の応募は締め切られましたが、昔の成人式である“元服”とはいったいどのようなものであったかを知る絶好の機会です。

 

 

源義経が元服したとされる時期に合わせて行われるこのイベントをお見逃しなく!

 

鏡の里元服式

【日         時】 3月4日(日)9時50分~14時00分

【会    場】 鏡神社/道の駅「竜王かがみの里」

【お問合せ】 竜王町観光協会 TEL.0748-58-3715

 

 

(※この記事は「滋賀サクの歴史浪漫奇行」にて2011年2月10日に掲載したものを加筆修正しております。)

 

 

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“五箇荘 VS 五個荘”の謎

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

 

さて2月22日に公開しました『ローヤルクラウンコーラの謎』の中で、近江鉄道の駅名・五箇荘(ごかしょう)と、旧町名の五個荘の表記の違いについて少し触れさせていただきました。

 

 

すると当ブログの愛読者(?)であり、また大学時代の歴史・鐵道・旅の盟友の1人でもある愚鴨長明氏が早速調査してくれました。

 

 

近江鉄道株式会社運輸本部鉄道部によりますと、この周辺一帯はかつて五箇神社(東近江市五個荘宮荘町)の荘園であったとされ、これが起源で「五箇荘」という地名になったと伝えられているとのこと。ただ私の裏取り調査では、五箇神社はかつて「山前(やまさき)八幡宮」と称していたため、この説もいささか信憑性が…。

 

 

繖山(きぬがさやま)東麓を領し、日吉大社(大津市)・延暦寺(大津市)・皇室の所領を管理していた荘園・山前荘(やまさきのしょう)が、平安時代末期に「山前五箇荘」と称したことがどうやら本命のようです。

 

 

ちなみに『五箇』の名の由来ですが、山前荘の中でさらに細分化された南荘・北荘・東荘・橋詰荘・新八里荘の5つの荘園を指すのだとされています。

 

 

また寺社・皇室の所領であったことから由来して、「空閑(こかん/免税のこと)」が訛ったモノだとも言われ、諸説あります。

 

 

いずれにしましても「五箇荘」が本来の地名として古くから存在し、近江鉄道では明治43(1910)年に小幡駅から移転開業した駅名に、この由緒ある表記を採用しました。

 

 

しかし、町村制施行で明治22(1889)年に誕生した東五個荘村・南五個荘村・北五個荘村には、敢えて旧表記を採用しませんでした。

 

 

またそれらが更に合併して昭和30(1955)年に誕生したかつての五個荘町でも、旧表記が復活することはありませんでした。恐らく「新しい時代の幕開け」を新表記でアピールしたいという思いが強かったのかも知れません。

 

 

人それぞれ、組織それぞれに今も昔も“思惑”ってあるんですね。いやいやまだまだ勉強の余地がございまする(*^_^*)

 

 

今回の問題解決にご尽力いただきました我が盟友・愚鴨長明氏、そして近江鉄道株式会社運輸本部鉄道部様。この場を借りまして厚く御礼申し上げます。

 

 

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“ローヤルクラウンコーラ”の謎

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

 

さて今回は、おもむろに東近江市は近江鉄道・五箇荘(ごかしょう)駅前を徘徊いたしております。

 

 

 

目的を持って散策するのも良いのですが、“糸の切れた凧”のようにプラプラ徘徊するのもまたオツなものでございます(^^)

 

 

 

このエリアは平成の大合併前、神崎郡五個荘町と称しました。

 

 

唐突ですが、かつての町名と駅名の漢字が異なるってご存知でしたか?

 

 

恥ずかしながら私、つい最近知人に指摘されて知りました。

 

◇町名…五個荘
◆駅名…五箇荘

 

「郷土史を学ぶ資格なし!」でございます<(TOT)>

 

 

もともとの地名は五箇荘なのですが、明治期の町村制制定の際にどうやら改変されてしまったようです。経緯の詳細をご存知の方がいらっしゃいましたら是非ご教授ください<(_ _)>

 

 

ちなみにこの五箇荘駅。開業した明治32(1899)年から約10年間は、この地から約200m北寄りの中山道と交差した場所にあり、当時は小幡(おばた)駅と称していました。また昭和57(1982)年に老朽化で駅舎が解体されて以降、平成12(2000)年に今の立派な駅舎が建てられるまでの18年間は、プラットホームのみの駅であったそうです。

 

 

旧五個荘町の玄関口であるハズなのですが、中心街から離れていることもあって実に閑散としています。私が訪れた時、利用客は誰もいませんでした。

 

 

これが駅前通り。

 

 

 

(現役か否かは不明ですが)通り沿いにぽつんと旅館が1軒あるのみ。

 

 

 

駅前にしては寂しい限りです。 こちらも、人っ子一人居やしません。

 

 

 

お世辞にも“駅前目抜き通り”とは、とてもとても…。

 

 

 

駅の正面でやや北側に15度視線をずらすと、何やら自然に還りつつある小さな東屋(あずまや)が眼に飛び込んで参ります。

 

 

 

 

どうやらかつての“喫茶店”であったようです(やや想像に難いですが…)。

 

 

 

 

この東屋をしげしげと見つめておりますと、見慣れぬオブジェクトが視界に入ってきました。

 

 

 

「クラウンコーラ???」
「ローヤル?????」

 

 

私の脳内データベースで、コーラといえば「コカ・コーラ」か「ペプシコーラ」。まぁ百歩譲って思いつくと言ったら、何故か無色透明だった「ミラクルアルファ(ホワイトコーラ)」、韓国産なんちゃってコーラの「メッコール」、インパクトの大きいCMだけで終わった「サスケ」くらいなもんでしょうか(笑)。

 

 

…でもって、ちょっと気になったものですから“ローヤルクラウンコーラ”なるものを調べてみることにいたしました。

 

 

『興味は人生の肥やし』でございます!(^^)

 

 

ローヤルクラウンコーラはアメリカのロイヤルクラウン社が製造している炭酸飲料で、現在でもコカ・コーラ、ペプシに続いてコーラの世界シェア第3位なのだとか(それにしては全然記憶にありません)。

 

 

一般には略して“RCコーラ”と呼ばれているそうです(決してラジコン”コーラではありません)。

 

 

日本に初上陸したのは昭和36(1961)年。 壽屋(ことぶきや/現在のサントリー)がライセンス権を獲得し生産。

 

 

イメージキャラクターには、当時東宝映画の「若大将シリーズ」で人気急上昇中の加山雄三と星由里子を起用。

 

 

洋酒割にも相性バッチリの飲料として売り出されました。

 

 

しかしシェア拡大に苦戦し、契約期間終了とともにフェードアウト。

 

 

その後は一部の中小飲料メーカー(北海道・小原/富山・トンボ飲料)がライセンス契約を結んで、地域限定で細々と供給。

 

 

平成元(1989)年にポッカコーポレーションがライセンス契約を締結。 全国区へリベンジなるかと思われましたが、こちらも平成8(1996)年に期限を迎え契約解消。今のところ国内で再び陽の目を見る可能性はないようです。

 

 

そんな不遇のRCコーラですが、北海道ではコカ・コーラよりも先行販売されていたためファンが多かったのだそうです。進出時に販促用として設置されたホーロー看板が今でも残っています。当サイトともリンクしております『琺瑯看板探検隊が行く』でも紹介されていますので是非ご覧ください。

 

 

それにしても、このかつての喫茶店。なぜRCコーラを選んだのでしょうねぇ。建屋の構造的に“居酒屋”も兼ねていたようにも見受けられますので、ひょっとするとその関連なのかも知れません。

 

 

さてさてRCコーラを調査しておりましたら、他にも日本ではこんなにも多くの種類のコーラが世に出ていたことが判明しました。まぁほとんど「絶滅種」ですが 主なものをご紹介いたします。

 

◆キリンコーラ(キリン)/グリーンコーラ(アサヒ)
…この辺はつい最近のアイテム。グリーンコーラは飲んだような、飲んでないような…。

◆ハードジョイト・コーラ(JT)/ゴールデン・コーラ(サッポロ)
…平成初期の新参者なのですが…全く記憶になし。

シュウェップス・コーラ(アサヒ)/ジョルト・コーラ(UCC)
…RCコーラ同様、海外ライセンス契約組。残念ながら共に10年程で撤退。

◆プラッシー・コーラ(武田)/LCコーラ(三共)
…お薬やさんのコーラ。お米屋さんや薬局にこんなのあったかなぁ???

 

 

その他、プライベートブランドのコーラもたくさんリリースされています。

 

 

それほど日本人って、“コーラ大好き!”なんですねぇ(小さい頃は“炭酸飲料を飲んだら骨が溶ける”なんて言われましたけど…)。

 

 

他にも皆さんのご近所に面白いネタが落ちていましたら、是非ご一報くださいませ。

 

 

あっ、そーいえばウチの近所の自販機には、中京地区の雄「チェリオ・コーラ」があったっけ(*^_^*).

 

 

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ONE FOR ALL…“比夜叉御前”の伝説

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

 

今回は多くの人々を助けるために犠牲となった悲劇の女性、比夜叉御前(ひやしゃごぜん)についてのお話をいたしたいと存じます。

 

 

本題に入る前に、このお話の舞台となります三島池に関する豆知識を少々…。

 

 

別名“比夜叉池”とも呼ばれ、米原市池下(旧・坂田郡山東町エリア)にあります。

 

 

周囲は約910m。

 

 

面積37,603㎡、水深は80cm(雨季は120cm)で、南北に長い楕円形をしています。

 

 

今から約880年前の平安時代末期。時の領主であった佐々木秀義(ささきひでよし/源頼朝挙兵に尽力した近江源氏の祖)によって、姉川の伏流水を利用して灌漑用貯水池、つまり農業用水確保のために人工的に造成された池と言われています。

 

 

池の周囲には桜・柳・紅葉などが植樹され、霊峰・伊吹山を背景とする景勝地として(特に写真愛好家の中では)全国的にも有名なスポットです。

 

 

また水質は清冷で多くの生物が生息し、マガモ・カイツブリ・バン・オシドリ・オナガガモ・ホシハジロ・キンクロハジロ・ミコアイサ・サギといった多くの水鳥や野鳥が飛来します。

 

 

特に地元中学校の科学クラブによる2年間の観察の結果、「マガモ自然繁殖の南限地」であることが判明し、昭和34(1959)年には滋賀県の天然記念物に指定され、この地の存在は学術的にも高く評価されています。

 

 

ではここからが本題です。

 

 

その年は例年になく日照りが続き、農業に欠かせない池の水が涸れてしまいました。領主の佐々木秀義は、池に水の無いことを心配して祈祷師に占ってもらいました。すると「1人の女を池の中に沈めて水神に祈れば、水が絶えることは無くなるであろう」とのお告げが出ます。

 

 

早速秀義は人柱となる女を領内から募りますが、喜んで申し出る者など誰一人としてありはしません。沢山恩賞を出すとも触れましたが、反応は皆無でした。

 

 

むしろ領内では「誰が人柱になるのか?」という疑心暗鬼と不安が蔓延するばかり…。

 

 

ある日のこと。

 

 

秀義の乳母である比夜叉御前が機織りをしている時、偶然外で村人がこの人柱の話をしているのを聞いてしまいます。

 

 

そして、その日の夜。比夜叉御前は織った機を抱えたまま池の畔に向かい、人知れず僅かに水の残る池に身を投じました。

 

 

翌朝、池は溢れんばかりの水を湛えていました。歓喜に沸く村人たちとは対照的に、事の真相を知った秀義はとても嘆き悲しみ、比夜叉御前をこの池の水神として祀りました。

 

 

それ以来、この池の水は如何に酷い干ばつに襲われても、水が涸れることは無いそうです。また雨の降る夜には池の底から機織りの音が聞こえてくると言います。

 

 

池の西岸に鎮座する三島神社の鳥居横に、ひっそりと石塔が建立されています。

 

 

ちなみにこの神社は、佐々木氏の氏神とされています。

 

 

これが“比夜叉女墓(ひやしゃひめはか)”であると伝えられています。

 

 

 

なお現在の姿は地元有志によって整備されたもので、昭和61(1986)年には供養塔が建立されています。

 

 

 

 

そして比夜叉御前の墓には松が植えられ、それが機織松(“はたおりまつ”または比夜叉松)と呼ばれ現在でも大切に守られています。

 

 

 

なお、比夜叉御前にまつわるこんな古い歌が今でも残っています。

 

 

名にも似ず 心やさしき たをやめの
誓も深く みつる池水

 

夜叉(鬼神)という名前に似ても似つかぬ心やさしい女のお陰で、お告げの通りこれまで池の水は涸れずに満ちている。

 

 

比夜叉御前が護った池は、現在水鳥たちの楽園と人々の憩いの場になっています。

ナゼだか野良猫たちの穴場にもなっていますが…(>_<)

 

 

水鳥さんたちとケンカにならないことを願います(^^)

 

 

今回の記事編集に写真をご提供いただきました滋賀県庁広報課様。この場を借りまして厚く御礼申し上げます。

 

 

(※この記事は「滋賀サクの歴史浪漫奇行」にて2011年2月18日に掲載したものを加筆修正しております。)

 

 

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琵琶湖畔に北欧の風薫るCafe“vokko”

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

 

ここ最近“伝説ネタ連チャン”状態でございましたので、お口直しに“隠れ家ネタ”をお届けしようと存じます。

 

 

実は私の妻。“根っから”というワケでもないのですが、結構な“Cafe好き”であります。但しほとんどデスクトップ、いわゆる“机上検討専門”ですが…(^^)

 

 

色々なガイドマップやフリーペーパーなどといつもニラメッコしてはいるのですが、その情報をもとにホイホイと出掛けていくワケでなし。どうも“コレっ!”という直感が働かないらしいです。

 

 

先日、チロルチョコよりも一回り大きな紙(写真参照⇒)が机の上に置いてありました。

 

「コレ、何?」と聞いてみますと、どうやら気になるCafeのリーフレットをどこかで貰ってきたようです。

 

…ということで、直感の働かない妻を尻目に、抜け駆けしてそのお店をちょっと覗いてみることにしました(*^_^*)

 

 

 

彦根市の西端エリアにあたる柳川町(やながわちょう)の湖周道路沿いに“vokko(ヴォッコ)”という名のカフェがあります。

 

 

 

オープンしてまだ3年くらいなのだとか。何度も近くをクルマで通っているのに、その存在に全く気が付きませんでした。

 

 

でもそんな隠れ家的存在が、今回私の興味を掻き立てたのかもしれません。

 

 

お店の佇まいは、琵琶湖の側にありながら北欧の湖畔にある民家を彷彿とさせます。

 

 

何よりも私の視線を釘付けにしたのが、お店の前に鎮座する懐かしさ満点の“FIAT500(チンクエチェント)”のオブジェ!

 

 

 

この今にも土へと還っていってしまいそうなチンクの佇まいが、私の心を鷲掴みにしました。

 

 

 

では、お店に入ってみます。

 

大きな窓から差し込む太陽の光…

ウッドとホワイトを基調とした店内…

窓から見える琵琶湖の遠景…

そして柔らかなJAZZの調べ…

 

 

全てが絶妙にマッチして、とても落ち着いた雰囲気を醸し出しています。

 

 

こちらの建物は、もともと大阪の資産家の方が別荘として建てたものですが、長年放置されていたのだとか。

 

 

地主さんの応援と地元建築デザイナーを始めとする多くの人々の協力もあって、こんなに素敵なお店に生まれ変わったのだそうです。

 

 

また、こちらではスウェーデン産を中心とした雑貨も数多く取り扱っておられます。

 

 

 

西欧の気品高いイメージのそれとは異なり、北欧のものはどこかこう“ほっこり”とした優しい感じのアイテムが多いように感じました。

 

 

 

私は根っからの“紅茶党”なのですが、「ここはコーヒーを飲むべきだろうか」と思いお尋ねしました。

 

 

すると、こちらではとても珍しいフレーバーティを提供しておられるとのことでしたので、ここは1つ試してみることに。

 

 

こちらではスウェーデンのブレンドティを提供されています。ネーミングも洒落ています。

黒カシス・ローズ・ルバーブ・ストロベリー・パッションフルーツをブレンドした
フルーツ農園
南インド産フェアトレード紅茶・リンゴンベリー・クリームをブレンドした
リンゴンベリー&クリーム
パッションフルーツ・マンゴー・クリーム・カラメルをブレンドした
美の追求
矢車草・オレンジの花・ピーチ・クリームをブレンドした
天にも昇る幸せ

 

 

事前に茶葉の香りのテイスティングもさせていただき、“リンゴンベリー&クリーム”を所望いたしました。お茶のお供にいただいたスイーツは“自家製ガトーショコラ”です。

 

 

 

リンゴンベリー&クリームはとてもフルーティーな香りがカップいっぱいに漂います。

 

 

かといってハーブティのように苦みやえぐみとなってテイストの邪魔をすることは無く、とてもすっきりとした味わいが印象的でした。

 

 

今までに体験したことのないフレーバーティです。

 

 

また自家製ガトーショコラは、甘過ぎず苦過ぎず、しっとりとしてとても上品なテイストでした。小さなお子さんにも十分おススメ出来るスイーツです。

 

 

オーナーさんご夫妻は、好きが高じて脱サラしてCafeと雑貨のお店を始められたのだとか。大阪の珈琲豆販売店で直接買い付けして、ご自身のテイストに合致するものだけを仕入れておられるそうです。私は余り珈琲を飲まないのですが、ご主人のお話を伺っていると急に興味がわいて、紅茶の後に珈琲も所望してしまいました(^^)

 

 

珈琲はvokkoブレンドグァテマラカフェフレンチの3アイテムを提供しておられるのですが、私はvokkoブレンドを頂戴しました。

 

 

 

こちらはご主人が「何杯でも飲める」「冷めても美味しい」をコンセプトにブレンドされたもので、焙煎は浅いものの比較的酸味が抑えられた飲みやすさにこだわった逸品です。

 

 

私は珈琲の味に余り詳しくないため表現がヘタクソですが、とても“ほんのりとした優しい味”がいたしました。

 

 

美味しい珈琲・薫り高い紅茶・美味しいスイーツをいただきながら、ゆったりとした時間が過ごせる空間。この滋賀では貴重な“日頃の喧騒を忘れられる時間”が味わえる場所に是非お立ち寄りになってみてください。

 

その前に、妻と娘を連れていかないと怒られちゃうなぁ(*^_^*)

 

(で…結局、後日連れて行くハメになりました<(>_<)>)

 

 

vokko(ヴォッコ)

滋賀県彦根市柳川町207-1
TEL.0749-43-7808

★定休日/木曜日
★営業時間/11:00~19:00
★Web/http://vokko-net.com/
※ワークショップやイベント等で営業時間が変更となる場合があります。

 

 

おまけ……

 

 

なぜかお店の裏に“やぎさん”

 

 

(?_?)

 

 

しかも絶賛お食事中!

 

 

……後日、私の娘が通う英会話教室で以前担任の先生だった方の飼いヤギさんであることが判明いたしました。いやぁ不思議な御縁ですねぇ(^^)

 

 

(※この記事は「滋賀サクの歴史浪漫奇行」にて2011年2月22日に掲載したものを加筆修正しております。)

 

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これぞ征夷大将軍の力!“鬼の首塚”の伝説

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

 

もうすぐ“節分”ですね。節分に欠かせない存在なのが、そう“鬼”ですよね。今回は節分に因みまして、“鬼の首塚”のお話をいたしたいと存じます。

 

 

昔々、平安時代の初期に坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)という武官がおりました。

 

 

田村麻呂は武芸・軍略に優れ、征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に二度任官。

 

 

後代に様々な伝説を生み、“稀代の名将”“ 毘沙門天の化身”とも称され、文才に長けた菅原道真と共に平安期に於ける文武の象徴的存在でした。

 

 

「えっ?征夷大将軍はそんな昔からあったの?」「幕府の将軍のことじゃないの?」などと仰る方もいらっしゃるのではないでしょうか?

 

 

鎌倉幕府以降の将軍職に付与されていた“征夷大将軍”は、武家の頭領としての象徴的官職として「武士の自治」を事実上朝廷に認めさせるための形式的なものでした。

 

 

本来は朝廷より蝦夷(えぞ/当時の東北地方以北)征伐を命じられた軍隊の指揮官に与えられた重責ある官職だったのです。

 

 

さて今から1220年前の延暦10(791)年のこと。伊勢國(現在の三重県)・鈴鹿山で大嶽丸(おおたけまる)という鬼神が悪事の限りを尽くし、その影響で周辺の往来が途絶えてしまいました。このことを憂慮した桓武天皇(かんむてんのう/第50代天皇で後に平安京を造営)は、田村麻呂に大嶽丸の討伐を命じます。

 

 

早速田村麻呂は京都の清水寺で鬼神の討伐成功を祈願しました。

 

 

すると観世音菩薩から霊感(お告げ)を得ましたので、今度は善勝寺(ぜんしょうじ)に籠ります。

 

 

お告げに従い7日間の祈りを捧げた田村麻呂は、勇躍して3万余の兵を従え鈴鹿山に向かいました。

 

 

しかし神通力を操る大嶽丸は山を暗雲で隠し、暴風雨・雷・火の粉などで討伐隊を苦しめます。 攻めあぐねた田村麻呂は、毘沙門天と千手観世音菩薩に祈りました。

 

 

するとある晩、夢の中に1人の老人が現れ、「この山に住む鈴鹿御前の助力を得よ」と告げられます。 田村麻呂は3万余の兵を都に帰還させ、単身鈴鹿御前を探しに鈴鹿山に入ります。

 

 

 

鈴鹿山に分け入った田村麻呂は、そこでこの世のものとは思えぬ絶世の美女に出逢います。

 

 

 

それこそが鈴鹿山に住む天女で、かねてより大嶽丸に求婚を迫られているという鈴鹿御前(すずかごぜん)でした。

 

 

鈴鹿御前は自らが囮となって大嶽丸に完全なる防御を与えている3本の宝剣を奪取し、田村麻呂に討たせるという策を講じます。

 

 

大嶽丸は鈴鹿御前の計略に堕ち、田村麻呂は見事その首を刎ねることに成功します。その後、田村麻呂と鈴鹿御前は夫婦となりました。

 

 

持ち帰った大嶽丸の首は善勝寺に埋めました。

 

 

その善勝寺は東近江市佐野町の猪子山(いのこやま)中腹にあります。

 

 

創建当初は釈善寺と号していましたが、田村麻呂の東征勝利に因んで改称したのだそうです。

 

 

善勝寺には次のような御詠歌が残っています。

 

 

鬼にさえ 善く勝つ寺ときくからに なほたのまるる 人ののちのよ

 

 

善勝寺の境内奥地にある墓地の中に、2m四方もある一際目立つ巨石があります。これが大嶽丸の首を埋めたという“鬼の首塚”です。

 

 

討伐時の戦利品も埋められていると伝えられており、かつて村人がその北面の崖を掘ったところ古墳のような構造になっていて、約3m下には石垣のようなものもあったそうです。

 

 

鬼の首塚のあるこの一帯、何やらまがまがしい空気で包まれているような雰囲気を感じます。あながち“単なる御伽噺(おとぎばなし)” ではないような気もします。

 

 

なお田村麻呂が7日間籠ったというこの善勝寺。

 

 

実際はこの寺の境内ではなく、厳密には“奥の院”と呼ばれる場所であったとか…。

 

 

その“奥の院”と称される猪子山頂には、北向岩屋十一面観音(きたむきじゅういちめんかんのん)が祀られています。

 

 

この観音堂の奥にある岩屋には、高さ55cm程の石像の十一面観音が安置されています。

 

 

ここに籠って田村麻呂は祈願したと伝えられています。

 

またこちらの十一面観音は合掌する手に数珠を掛けており、全国的にも大変珍しいお姿をされています。

 

災厄消除と災害防除に御利益があるといわれており、毎年7月17日には千日会法要が盛大に勤行され、京阪神や中京方面からの多くの参拝者で賑わいます。

 

 

さらに毎月17日にも、近在の信者が多数参拝に訪れます。

 

 

ちなみに琵琶湖の絶景or夜景をご覧になりたい方にもおススメです。

 

 

西は長命寺山(ちょうめいじやま)・八幡山から、北は遥か竹生島(ちくぶしま)まで。

 

 

そして滋賀のアルプス(?)ともいうべき雄大な比良(ひら)山系を正面に望むことが出来ます。

 

 

噂では地元のカップルが夜景を楽しむスポットにもなっている…らしいですよ(*^_^*)

 

 

なお、猪子山を訪れる際にご注意いただきたいことがございます。

 

 

急傾斜の細いヘアピンカーブの連続ですので、クルマで訪れるにはそれなりの運転テクニックが必要です。

 

 

また徒歩での訪問なら、それなりの体力を要します(クルマで訪問しましても、駐車場から頂上までは約300mの階段参道を登らねばなりません)。

 

 

また夜間の来訪はシーズンを問わず様々な危険要素を伴いますので、細心の注意を払い自己の責任のもとでトライしてください。くれぐれもご無理をなさいませんように。

 

 

最後に豆知識。

 

 

因縁浅からぬ鈴鹿山(鈴鹿峠)の近く、甲賀市土山町北土山には坂上田村麻呂を祭神として祀っている田村神社があります。

 

 

開運厄除・交通安全・家内安全・八方除けにとてもご利益があるとされ、滋賀を始めとして中京圏からも連日多くの参拝者が訪れています。

 

 

特に毎年2月17~19日には厄除大祭・田村まつりが催され、開運厄除を願う人々で賑わいます。先日も妻の本厄除のご祈祷をお願いしてきたところです(^^)

 

 

参拝後は、神社と国道1号を隔てた向かい側にある道の駅・あいの土山での休憩をおススメします。特にフードコートで供されるうどんは、お味もなかなかにとてもリーズナブル!あとは1回400円でやりたい放題(?)の抹茶ソフトクリームにも是非チャレンジしてください(^^)

 

 

それでは早速……鬼は~そと♪ 福は~うち♪(^^)

 

 

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