“郷里ノ初春探訪”ノススメ

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

 

皆さまはこの正月三が日、いかがお過ごしでしたでしょうか?

 

 

例年ですと我が家の三が日は、ダラダラ過ごして初詣も(1月15日までの気が向いた時に)多賀大社に参拝するという体たらくでした。

 

 

そこで私たち家族はここ数年の「堕落した正月」を一新すべく、今年は元旦の早朝から郷里を守る神さま仏さまへの徒歩初詣行軍(?)を敢行いたしました。

 

 

午前8時、自宅出立。この年末年始の天候は荒れるとの予報でしたが、厚い暗雲からにわかに太陽が顔を出し、思いがけず“初日の出(?)”を拝むことが出来ました。

 

 

 

これも日頃の信心のお陰。まるで私たちの前途を祝福しているようで…(^^)

 

 

私たち家族が住む町は“中途半端な田舎”ですので、正月ともなるとクルマも人も見る影もなく静かです。周辺の脅威や障害(?)に気兼ねすることなく、私たち家族はトットコ歩きます。

 

 

歩き出して約5分。隣町の自治会館の横にある地蔵堂に到着。

 

 

ここの地蔵堂はこの周辺でも規模が大きく、実に五十以上のお地蔵さまが安置されています。

 

 

まずは子供の頃から信仰するお地蔵さまに新年のご挨拶<(_ _)>

 

 

……「おや?」

 

 

この地に生まれ育ってもう四十ウン年になりますが、こちらのお地蔵さまが御開帳されているのを初めて拝見しました。

 

 

地蔵盆には恐らく御開帳されているのでしょうが、隣町ゆえお祭りの時に訪れることが難しく、ついぞこれまでその機会に巡り合うことが出来なかったのです。

 

 

ちなみに…地蔵盆近畿地方特有の子どものためのお祭りです。恥ずかしながら、私もこのことを知ったのは10年ほど前のことです。“習慣”“風習”とは実に不思議なものですね(^^)

 

 

それにしても、お正月にお地蔵さまをこのように飾って、山盛りのお供えをしてお祀りする風習があることは全く知りませんでした。「ふしぎ発見!」です。

 

 

次に向かったのは、地蔵堂からさらに歩くこと約5分。

 

 

初詣の本丸である“氏神様”に到着いたしました。

 

 

私たちの住む町の氏神様は河瀬神社(かわせじんじゃ)と申し、この地域の郷社(ごうしゃ)となります。

 

 

 

簡単に解説いたしますと、郷社とはその地域(かつての郡部の町や村単位)の中心的な神社のことです。

 

 

 

春の大祭の日を除けば、滅多に他の参拝者と出逢うことはありません。失礼ながら、正直「元日も同じだろうな…」と高を括っておりました。

 

 

事実神社に到着した際は、人っ子一人いませんでした。

 

 

ところが家族一同本殿前で参拝を始めた途端、いつの間にか私たちの後ろに参拝待ちの長蛇の列が!

 

 

 

私たちはいつもこちらではゆっくり参拝しているので、少し慌ててしまって次の方にお譲りしてしまいました(>_<)

 

 

しばらくしまして人が途切れたタイミングを見計い、改めて(しっかりじっくりと)新年のご挨拶をいたしました<(_ _)>

 

 

お正月の神社の風物詩、焚き火にあたります。この寒い時期、身体も心も温まります。

 

 

 

とても清浄な気持ちになります。それにしても、この時期神社で焚き火が行われるのは何か謂れや理由があるのでしょうか?ご存知の方は是非ご一報ください。

 

 

ちなみに…ここに古いお札やお守り、おみくじを放り込む方が稀にいらっしゃいますが、これらを浄化するための“お焚きあげ”とは異なりますので、絶対にお止めください。

 

 

この河瀬神社は郷社であるとともに、かつては彦根藩・井伊家の庇護を受けていた知る人ぞ知る“商売の神様”でもあります。仕事始めの時期ともなりますと、企業関係者が結構参拝にいらっしゃるようです。

 

 

最後に訪れたのは、河瀬神社からさらに歩くこと5分。

 

 

ここは八幡社(はちまんしゃ)です。

 

 

八幡神は武家から“武運の神”としての崇敬を受けた神様です。

 

 

通常日本の神様は偶像(お姿)が存在しません。

 

 

ただし、この八幡神は信仰の過程で、僧形(そうぎょう:お坊さんの姿)の御神体を得たという珍しい存在でもあります。

 

 

そういう意味では、かつての神仏習合の代表選手的存在とも言えます。

 

 

あまり目立たない八幡社ですが、実はとても興味深い存在なのです。

(1)河瀬神社の境内社(けいだいしゃ:支店のような存在)とは余り知られていない。

(2)その他の理由でも“神仏習合”の性格を未だに色濃く残している。

 

 

難しいお話はこれくらいにしまして、まずは新年のご挨拶<(_ _)>

 

 

こちらの神社では現在定期的な大祭が行われないため、このようにお祀りしているのを拝見するのは初めてでした(さすがに御神体にはお目にかかれませんでしたが…)。

 

 

こちらの神さまは、いざという時にいつも私の後ろ盾となっていたただいているので、氏神様同様長年に渡りお参りを続けております。

 

 

さて「興味深い理由その(2)」は、境内に薬師堂(やくしどう)があることなのです。

 

 

歴史に詳しい方ならご存知でしょうが、江戸時代までは神社の中に寺院が、寺院の中に神社が存在するのは、ごく自然な光景でした。

 

 

しかし明治になって政府が公布した「神仏分離令」と「大教宣布」による影響で“廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)”の風潮が蔓延し、現在の光景となったのです。

 

廃仏毀釈とは、明治政府が神道を国家統合の基幹にすべく意図したため、一部の国学者主導のもと仏教は外来宗教であるとして、それまで様々な特権を擁していた仏教勢力の財産や地位を剥奪した流れのことです。

 

 

決して推察の域を出ませんが、この地域ではこの流れを食い止めたため、このように今も共存出来ているのだと思います。

 

 

後で知ったことですが、さらに興味深いエピソードがございました。

(1)同じ境内でありながら、八幡社の管理は地元の自治会。薬師堂の管理は、我が家が
檀家となっている真宗大谷派の寺院。

(2)薬師堂の薬師如来は秘仏で、お正月の時期だけ公開される。

(3)最初にお参りした地蔵堂の多くのお地蔵さまはもともとここの境内に安置されていたが、
約半世紀前に何故か三体を残して現在の場所に大移動。

 

 

お薬師さまと(居残られた)お地蔵さまにも、今年一年家族の安寧と健康をお願いいたしました<(_ _)>

 

 

帰り道に我が家が檀家となっている真宗大谷派の寺院の前に差し掛かりますと…

 

 

何やらとても人の出入りが多いので、「新年早々ご不幸かな…」と覗いたら、表門には『修正會 一月一日午前八時』と張り紙が…。

 

 

「しゅうせいかい?何じゃそりゃ???」

 

 

実はコレ、“しゅしょうえ”と読みまして、「前年を反省して悪を正し、新年の国家安泰、五穀豊穣などを祈願する」仏教行事なのだそうです。

 

 

この辺りでは、一升のお米を持参して元日に参拝するのが習わしなのだとか。貧乏で信心の浅い我が家は「持参の品」が直ぐに用意出来ませんので、そっと人知れず手を合わせて通り過ぎました(T_T)

 

 

社会・行動・交通・通信…何もかもが“高速”を求められるこのご時世ですが、「歩く」ってとても大切なことだと改めて実感しました。

 

 

皆さんもご自身がお住まいの町を歩き巡って、「小さな発見」「予想外の発見」に出逢ってみませんか?「犬も歩けばなんとやら」と申しますしね(^^)

 

 

さて昨年も予告いたしました通り、当ブログは毎週水曜日正午(お昼の12時)の更新を予定いたしております。次回はかつて最高のアクセス数を誇った話題をお届けいたします。

 

 

それでは明日本格スタートの「後藤奇壹のびわこ浪漫怪廊」にご期待ください!

 

 

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