日々是滋賀日和 “湖國浪漫風土記”にようこそ

~近江の國は歴史の縮図である~

滋賀の知られざる歴史、忘れ去られゆく民話、先人たちの偉大なる足跡を後世に伝える渾身の激白(?)徒然紀行。

生まれ育った近江國の風土をこよなく愛する土着民が、“滋賀の郷土史”を皆様に知って戴ければとの想いで書き綴っております。時折・・・しばしば(?)「彷徨」もございますが、ご高覧・ご笑覧賜れば幸いです<(_ _)>

※相互リンク大歓迎です。ご意見・情報承ります(^^)よりご連絡戴ければ幸甚です。

管理人:後藤 奇壹


閑話徘徊“ひこにゃん”には「義兄」がいた!?

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

さて現在、彦根市では市議会議員選挙が佳境を迎えております。様々な不祥事や問題で有難くない『全国区』の知名度を獲得した彦根市。その市政に毅然とした姿勢で相対することが出来る人間を送り込めるかどうか。市民の民度が問われる歴史的瞬間です。

その失政のおかげで割を食う事態に追い込まれているのが、我らが誇る国民的ご当地キャラクター。 それが“ひこにゃん”…もうクドクドと説明する必要はございませんよね国宝・彦根城築城400年祭のイメージキャラクターにして、平成の“ゆるキャラブーム”の立役者。

ひこにゃん

加えて1860年に起こった徳川幕府屈指のスキャンダルであった、彦根藩主にして大老の井伊直弼が暗殺された事件・“桜田門外の変”以来、“彦根”の名を全国に知らしめてくれた最大の功労者であります。

登場してから既に12年が経過しましたが、並居る後発“ゆるキャラ”の追随を許さず、今や不動の人気、レジェンドの地位を確立しています。

さて“きな臭いタイトル”の趣旨でございますが、別に後付けの設定で某リカちゃん人形の如く、“両親がいた”とか“恋人がいた”とかいう話ではございません(^^)

実は“ひこにゃん”誕生には、その“(いしずえ)となる存在”があったのです。

市民でも記憶している人は随分少なくなってしまいましたが、今から遡ること32年前の1987(昭和62)年。日本国有鉄道のJRへの移行、すなわち「国家機関の民営化」というこれまで経験したことのないコペルニクス的大転換を日本國民が迫られた(?)頃のお話です。

彦根城

当時彦根では、その国鉄分割民営化が実施された4月1日を挟んだ3月28日から5月31日の65日間に渡り、 彦根市制50周年を契機として‘87世界古城博覧会が催されておりました。

イベントテーマは「古城文化にスポットをあて、世界の古城をネットワークする古城街道を提唱する」。

パビリオンの設計・建築には建築界の重鎮“高松伸”、会場内の版画を芸術界の奇才“池田満寿夫”、テーマソングを音楽界の革命家“三枝成彰”といった各界のそうそうたるメンバーを起用(当時のバブリー振りが垣間見えます)。

私自身当時は大学に入りたてで、加えて博覧会自体に全く興味が無かったこともあり殆ど記憶がありません。ですが、自宅最寄りの片田舎の駅を米原や名古屋から来る臨時列車が折り返し運転していたのには驚きました。

結局、彦根市にとって成功したのか失敗したのかよく解らないうちに博覧会は終了。人々の記憶に殆ど残ることなく今に至ります。一説によると、彦根市の財政逼迫はこのイベントの影響が発端ではないかとのウワサも…真相は藪の中です。イベント会場の写真の1つでも無いものかとあちこち調べ上げたのですが、見つけることは出来ませんでした。

ようやく前説終了。ここからがお話の“本丸”です(笑)。

彦根がイメージキャラクターを展開したのは「ひこにゃんが“お初”」と思われる節が大半なのですが、実は何とこの『’87世界古城博覧会』にもイメージキャラクターがいたのです。

それではご紹介いたしましょう!

世界古城博覧会のイメージキャラクター、“城まる君”です!

城まる君

いかがですか?ひこにゃんの“義兄”キャラの印象は。“安直なイメージ”だとか“クオリティが低い”なんて言わないでくださいね(>_<)

当時はこれで良かったんですぅ(^^)

彦根城とその別称である“金亀(こんき)城”にちなみ、城郭と亀を合体させ擬人化させたもので、天守の兜(かぶと)と石垣の鎧(よろい)を纏った“カワイイ侍”がコンセプト。全体的に空色メインの仕上げとなっています。

でも現在の「ゆるキャラ乱発・乱造戦国時代」の中に加えても、引け目を取らぬ造形だと思うんですけどねぇ。

この城まる君、イベントが開催されていた現役当時は大阪の「御堂筋パレード」にも参加する程の大人気!

その後も平成の入りたてぐらいまでは市内のあらゆる広告媒体に活用されていました。

しかし現在は“ひこにゃん”だらけで、逆にそのよすがを見つける方が困難となってしまいました(2011年2月までは彦根商店街連盟のポイントカードのイラストに起用されていました)。

いわゆる“絶滅危惧種”ってヤツです。

さて、私の(巧妙且つ広範囲な)ネットワークからの情報によりますと、彦根市立図書館の倉庫に城まる君の“キグルミ”が保管(放置?)されていることが判明。

城まる君はいま・・・

平成23(2011)年12月8日、朝日新聞の『ますます勝手に関西遺産』でこの城まる君が紹介され、一躍多くの人々の記憶に呼び覚まされる(?)機会を得ました。

保存状態は決して良いとは言えないようなのですが、もし叶うのであれば“ひこにゃん”との共演を、彦根市民としては望むところです。

夢の共演!!

なお“城まる君”メモリアルオブジェクトは、彦根城内にあります金亀公園にひっそりと佇んでおります。

彦根へ観光にお越しの折は、是非“城まる君”にも逢いにきてやってくださいまし<(_ _)>

さて、ひこにゃん人気に気を良くした彦根とその周辺では、豊臣秀吉の知恵袋とも称された佐和山城主・石田三成の軍師“島左近清興(しまさこんきよおき)”をモデルにした『しまさこにゃん』や、彦根藩主・井伊直弼の次女“弥千代姫(やちよひめ)”をモデルにした『やちにゃん』をはじめ、いしだみつにゃん・ひこちゅう・カモンちゃんなど実に多くのご当地キャラを世に送り出しました。

やちにゃん&しまさこにゃん

特にこの2つのキャラは完成度も高く、地元でも比較的市民権を得た部類に属しますが、残念ながら何れもひこにゃんの追随を許す程の存在に成り得ていません。

何事も『過ぎたるは及ばざるが如し』といったところでしょうか。

いけいけドンドンで乱発したこともあるでしょうが、ひこにゃんには猫をモチーフにする相応の理由が存在したのに対し、他のモノは明らかに「ひこにゃんのキャラクター性を模倣した」に過ぎないというのがご当地キャラファンに見透かされてしまった感がございます。

ただでさえすっかり下火感が否めない“ご当地 キャラ”ブーム。明確なコンセプトとキャラクター&ストーリー性の裏付けがなければ支持は得られないでしょう。そうそう“2匹目のドジョウ”なんていやしませんから…(>_<)

彦根市の名を全国区に押し上げてくれた恩ある“ひこにゃん”の活動を窮地に追い込んでいる現在の彦根市政。“城まる君”の二の舞にならないことを只々祈るばかりです。

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“令和”に於ける滋賀の自治会の在り方を考える

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例年ゴールデンウイーク辺りで開花する沈丁花が、いま満開を迎えております。このまま暖冬から春へと向かうと思いきや、4月には異例の積雪を伴う寒気。この影響でサクラの開花も急ブレーキが掛ったようで・・・人間社会に止まらず、自然界も『混迷の時代』を迎えているのでしょうか。

満開の沈丁花

それはさておき私事ではございますが、まだまだ現役の宮仕えにも関わらず、 実は今年度たくさんのお役を仰せつかってしまいました。

◆自治会長
◆連合自治会副会長 兼 会計
◆学区人権教育推進委員
◆県立高等学校運営協議会常任委員
◆グループホーム運営会議外部委員
◆選挙対策本部総務部長

元号が“平成から令和”へと変遷する記念すべき節目の時期に、時間も経験も金も(笑)、おまけにコネも無い若輩者の小生に何が出来るのか甚だ疑問ではございますが、“兎に角前に進んでみよう”精神で取り組む所存です。

現在この滋賀にとどまらず、全国的に自治会の存在の是非、在り方が問われています。役員後継者が育たず、会員が集まらず、解散した自治会も多々あります。そのような時代背景の中、特に若年層の方々に関心を持っていただける取り組みを模索することが急務であると考えています。

その一環として、 『“開かれた”“世代を超えた“全員参加の“滋賀ならではの自治会』をコンセプトに 小生任期の1年間の試みとしてFacebookページを立ち上げました。

自治会のページはコチラ

ホームページという管理が困難な形式ではなく、SNSという自由に参加・意見交換が可能なツールを採用しました。当自治会員の皆さんのコミュニケーションツールとしてのみならず、多くの方々からご意見をいただければ幸甚です。

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Which one is correct?“五箇荘 or 五個荘”

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さて先日公開致しました『閑話徘徊“ローヤルクラウンコーラ”の謎』の中で、近江鉄道の駅名・五箇荘(ごかしょう)と、旧町名の五個荘の表記の違いについて少し触れさせていただきました。

五箇荘駅・駅名標

すると小生の大学時代の歴史・鐵道・旅の盟友の1人でもある、愚鴨長明氏が早速調査してくれました。

近江鉄道株式会社鉄道部運輸課によりますと、この周辺一帯はかつて五箇神社(東近江市五個荘宮荘町)の荘園であったとされ、これが起源で「五箇荘」という地名になったと伝えられているとのこと。ただ 小生 の裏取り調査では、五箇神社はかつて「山前(やまさき)八幡宮」と称していたため、この説もいささか信憑性が…。

繖山(きぬがさやま/別称・観音寺山)東麓を領し、日吉大社(大津市)・延暦寺(大津市)・皇室の所領を管理していた荘園・山前荘(やまさきのしょう)が、平安時代末期に「山前五箇荘」と称したことがどうやら本命のようです。

繖山(観音寺山)

ちなみに『五箇』の名の由来ですが、山前荘の中でさらに細分化された南荘・北荘・東荘・橋詰荘・新八里荘の5つの荘園を指すのだとされています。

また寺社・皇室の所領であったことから由来して、「空閑(こかん/免税のこと)」が訛ったモノだとも言われ、諸説あります。

いずれにしましても「五箇荘」が本来の地名として古くから存在し、近江鉄道では明治43(1910)年に小幡駅から移転開業した駅名に、この由緒ある表記を採用しました。

しかし、町村制施行で明治22(1889)年に誕生した東五個荘村・南五個荘村・北五個荘村には、敢えて旧表記を採用しませんでした。

旧五個荘町役場

またそれらが更に合併して昭和30(1955)年に誕生したかつての五個荘町でも、旧表記が復活することはありませんでした。恐らく「新しい時代の幕開け」を新表記でアピールしたいという思いが強かったのかも知れません。

人それぞれ、組織それぞれに今も昔も“思惑”ってあるもの。いやいやまだまだ学びの余地がございますね。

今回の問題解決にご尽力いただきました我が盟友・愚鴨長明氏、そして近江鉄道株式会社鉄道部運輸課様。この場を借りまして厚く御礼申し上げます。

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閑話徘徊“ローヤルクラウンコーラ”の謎

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さて今回は、おもむろに東近江市は近江鉄道・五箇荘(ごかしょう)駅前を徘徊いたしております。

五箇荘駅

目的を持って散策するのも良いのですが、“糸の切れた凧”のようにプラプラ徘徊するのもまたオツなものでございます(^^)

このエリアは平成の大合併前、神崎郡五個荘町と称しました。

唐突ですが、かつての町名と駅名の漢字が異なるってご存知でしたか?

恥ずかしながら私、つい最近知人に指摘されて知りました。

五箇荘駅・駅名標

◇町名五個荘
◆駅名五箇荘

「郷土史を学ぶ資格なし!」でございます<(TOT)>

もともとの地名は五箇荘なのですが、明治期の町村制制定の際にどうやら改変されてしまったようです。経緯の詳細をご存知の方がいらっしゃいましたら是非ご教授ください<(_ _)>

ちなみにこの五箇荘駅。開業した明治32(1899)年から約10年間は、この地から約200m北寄りの中山道と交差した場所にあり、当時は小幡(おばた)駅と称していました。また昭和57(1982)年に老朽化で駅舎が解体されて以降、平成12(2000)年に今の立派な駅舎が建てられるまでの18年間は、プラットホームのみの駅であったそうです。

旧五個荘町の玄関口であるハズなのですが、中心街から離れていることもあって実に閑散としています。私が訪れた時、利用客は誰もいませんでした。

これが駅前通り。

五箇荘駅前通

(現役か否かは不明ですが)通り沿いにぽつんと旅館が1軒あるのみ。

駅前にしては寂しい限りです。 こちらも、人っ子一人居やしません。

お世辞にも“駅前目抜き通り”とは、とてもとても…。

駅の正面でやや北側に15度視線をずらすと、何やら自然に還りつつある小さな東屋(あずまや)が眼に飛び込んで参ります。

千代松(店舗)

どうやらかつての“喫茶店”であったようです(やや想像に難いですが…)。

この東屋をしげしげと見つめておりますと、見慣れぬオブジェクトが視界に入ってきました。

千代松(看板)

「クラウンコーラ???」
「ローヤル?????」

私の脳内データベースで、コーラといえば「コカ・コーラ」か「ペプシコーラ」。まぁ百歩譲って思いつくと言ったら、何故か無色透明だった「ミラクルアルファ(ホワイトコーラ)」、韓国産なんちゃってコーラの「メッコール」、インパクトの大きいCMだけで終わった「サスケ」くらいなもんでしょうか(笑)。

…でもって、ちょっと気になったものですから“ローヤルクラウンコーラ”なるものを調べてみることにいたしました。

『興味は人生の肥やし』でございます!(^^)

ローヤルクラウンコーラはアメリカのロイヤルクラウン社が製造している炭酸飲料で、現在でもコカ・コーラ、ペプシに続いてコーラの世界シェア第3位なのだとか(それにしては全然記憶にありません)。

ローヤルクラウンコーラ広告(寿屋)

一般には略して“RCコーラ”と呼ばれているそうです(決してラジコン”コーラではありません)。

日本に初上陸したのは昭和36(1961)年。 壽屋(ことぶきや/現在のサントリー)がライセンス権を獲得し生産。

ローヤルクラウンコーラ広告(加山雄三&星由里子)

イメージキャラクターには、当時東宝映画の「若大将シリーズ」で人気急上昇中の加山雄三と星由里子を起用(懐かしい~)。

洋酒割にも相性バッチリの飲料として売り出されました。

しかしシェア拡大に苦戦し、契約期間終了とともにフェードアウト。

その後は一部の中小飲料メーカー(北海道・小原/富山・トンボ飲料)がライセンス契約を結んで、地域限定で細々と供給。

ローヤルクラウンコーラ広告(アメリカ)

平成元(1989)年にポッカコーポレーションがライセンス契約を締結。 全国区へリベンジなるかと思われましたが、こちらも平成8(1996)年に期限を迎え契約解消。今のところ国内で再び陽の目を見る可能性はないようです。

そんな不遇のRCコーラですが、北海道ではコカ・コーラよりも先行販売されていたためファンが多かったのだそうです。進出時に販促用として設置されたホーロー看板が今でも残っています。当サイトともリンクしております『琺瑯看板探検隊が行く』でも紹介されていますので是非ご覧ください。

それにしても、このかつての喫茶店。なぜRCコーラを選んだのでしょうねぇ。建屋の構造的に“居酒屋”も兼ねていたようにも見受けられますので、ひょっとするとその関連なのかも知れません。

さてさてRCコーラを調査しておりましたら、他にも日本ではこんなにも多くの種類のコーラが世に出ていたことが判明しました。まぁほとんど「絶滅種」ですが 主なものをご紹介いたします。

◆キリンコーラ(キリン)/グリーンコーラ(アサヒ)
…この辺はつい最近のアイテム。グリーンコーラは飲んだような、飲んでないような…。

◆ハードジョイト・コーラ(JT)/ゴールデン・コーラ(サッポロ)
…平成初期の新参者なのですが…全く記憶になし。

シュウェップス・コーラ(アサヒ)/ジョルト・コーラ(UCC)
…RCコーラ同様、海外ライセンス契約組。残念ながら共に10年程で撤退。

◆プラッシー・コーラ(武田)/LCコーラ(三共)
…お薬やさんのコーラ。お米屋さんや薬局にこんなのあったかなぁ???

その他、プライベートブランドのコーラもたくさんリリースされています。

それほど日本人って、“コーラ大好き!”なんですねぇ(小さい頃は“炭酸飲料を飲んだら骨が溶ける”なんて言われましたけど…)。

他にも皆さんのご近所に面白いネタが落ちていましたら、是非ご一報くださいませ。

チェリオコーラ

あっ、そーいえばウチの近所の自販機には、中京地区の雄「チェリオ・コーラ」があったっけ(*^_^*).

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閑話徘徊“きゃべつ?”

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まずはこの写真をご覧ください。

きゃべつ?

先日、野洲市のとある場所に差し掛かったところ 、視界に飛び込んできたのがこのオブジェクト!

どこをどう見ても“きゃべつ”・・・ですよ・・・ねぇ。

とはいえ近辺にキャベツ畑らしきものは見当たらず、この場所も畑地か空地か荒地か判別も付かず・・・妙に“生々しさ”だけがリアルなだけに、不可解は募るばかり。

この怪しげなオブジェクトの詳細をご存知の方、是非とも情報をお寄せくださいませ <(_ _)>

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閑話徘徊“ジェットストリームアタック? in 滋賀”

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まだまだ初心者の域は脱しませんが、この歳になってようやく“日本酒”の良さが解かり始めて参りました。と同時に最近まで抱いていた『いくら米どころの滋賀といえども、地酒はねぇ…』などといった偏見も徐々に解消しつつあります。

これまで日本酒を敬遠してきたのには、大東亜戦争後の物資貧窮に対処するための大量生産を目的とした技術、即ち『醸造用アルコールの添加』が、物資が潤沢となった現在でも連綿と行われていることが最大の原因であります。あの技術が戦後の酒造を支え、そして酒造の地位を失墜させたといっても過言ではありません。

でも昨今、世界的に日本酒が注目されてきていることを契機に、特に地酒を地道に育んできた酒蔵が切磋琢磨し、全国的に勢力を盛り返しつつあります。その動向を受けて、小生も日本酒、特に『湖國の地酒』に興味を示し始めた次第です。決して流行に乗った訳ではございません(笑)。

勉強し始めた『湖國の地酒』に 関して触れるのはまた別の機会にしまして、今回はこんなネタを仕入れて参りました。

三連星

皆さん、この三漣星という銘柄をご存知ですか?地酒通の方からすれば『何を今さら…』と言われるかも知れませんが、小生はこのネーミングにとても興味を掻き立てられました。なお一升瓶の前に鎮座するオブジェクトは特段意味はございません…と言っても説得力はないですよね~(苦笑)。

この銘柄を知ったのは先の年末年始に放送されたとあるTV番組。たまたま耳に飛び込んできた情報だけを頼りに色々と調べてみて、この銘柄が滋賀の蔵元のものだと知って改めて驚きました。

この銘柄に関する詳細な情報は下記のリンクより御覧頂ければと存じますが、簡単にご紹介致しますと、甲賀市にある美冨久酒造の若手杜氏さんが世に問うた意欲作であるということ。そして関西のこだわりの店舗運営をされている若手居酒屋オーナーさんを中心として、 徐々に支持を拡げている銘柄であるということです。

『三連星』に関する情報はコチラ>>>

実は県内産・山田錦を用いた大吟醸もラインナップされているのですが、今回小生は敢えて県内の地酒に使用されている酒米の中でも非常にメジャーな吟吹雪を用いた純米酒をチョイスしました。

2019湖國春の訪れ

長期予報では暖冬とも言われていた平成最後の冬。でも『史上最大の寒波到来』等、実際はやはり寒いのに変わりはありませんよね。こんな寒い日々ではありますが、もう春の訪れが垣間見えています。本当に自然って偉大です。

もともと“花見”とは、桜ではなく梅を愛でることだとか。この芽吹き始めた春の訪れを愛でつつ、新風香るこの若い銘柄を愉しみたいと思います。さて小生が長年湖國の地酒に抱いていた偏見に、ジェットストリームアタックを仕掛けてくれるでしょうか (^o^)v

最後に、この三漣星は特約店のみの限定販売となります。蔵元及び県内の一般的な地酒販売コーナーでは取り扱われておりませんのでご注意ください。

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これぞ征夷大将軍の真の力!“鬼の首塚”の伝説

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もうすぐ“節分”。節分に欠かせない存在なのが、そう“鬼”ですよね。今回は節分に因みまして、“鬼の首塚”のお話をいたしたいと存じます。

昔々、平安時代の初期に坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)という武官がおりました。

坂上田村麻呂

田村麻呂は武芸・軍略に優れ、征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に二度任官。

後代に様々な伝説を生み、“稀代の名将”“ 毘沙門天の化身”とも称され、文才に長けた菅原道真と共に平安期に於ける文武の象徴的存在でした。

「征夷大将軍はそんな昔からあったの?」「○○幕府の将軍のことじゃないの?」などと仰る方もいらっしゃるのではないでしょうか。

鎌倉幕府以降の将軍職に付与されていた“征夷大将軍”は、武家の頭領としての象徴的官職として「武士の自治」を事実上朝廷に認めさせるための形式的なものでした。

本来は朝廷より蝦夷(えぞ/当時の東北地方以北)征伐を命じられた軍隊の指揮官に与えられた重責ある官職だったのです。

さて今から1220年前の延暦10(791)年のこと。伊勢國(現在の三重県)・鈴鹿山で大嶽丸(おおたけまる)という鬼神が悪事の限りを尽くし、その影響で周辺の往来が途絶えてしまいました。このことを憂慮した桓武天皇(かんむてんのう/第50代天皇で後に平安京を造営)は、田村麻呂に大嶽丸の討伐を命じます。

早速田村麻呂は京都の清水寺で鬼神の討伐成功を祈願しました。

清水寺

すると観世音菩薩から霊感(お告げ)を得ましたので、今度は善勝寺(ぜんしょうじ)に籠ります。

お告げに従い7日間の祈りを捧げた田村麻呂は、勇躍して3万余の兵を従え鈴鹿山に向かいました。

しかし神通力を操る大嶽丸は山を暗雲で隠し、暴風雨・雷・火の粉などで討伐隊を苦しめます。 攻めあぐねた田村麻呂は、毘沙門天と千手観世音菩薩に祈りました。

するとある晩、夢の中に1人の老人が現れ、「この山に住む鈴鹿御前の助力を得よ」と告げられます。 田村麻呂は3万余の兵を都に帰還させ、単身鈴鹿御前を探しに鈴鹿山に入ります。

大嶽丸と鈴鹿御前

鈴鹿山に分け入った田村麻呂は、そこでこの世のものとは思えぬ絶世の美女に出逢います。

それこそが鈴鹿山に住む天女で、かねてより大嶽丸に求婚を迫られているという鈴鹿御前(すずかごぜん)でした。

鈴鹿御前は自らが囮となって大嶽丸に完全なる防御を与えている3本の宝剣を奪取し、田村麻呂に討たせるという策を講じます。

大嶽丸は鈴鹿御前の計略に堕ち、田村麻呂は見事その首を刎ねることに成功します。その後、田村麻呂と鈴鹿御前は夫婦となりました。

持ち帰った大嶽丸の首は善勝寺に埋めました。

その善勝寺は東近江市佐野町の猪子山(いのこやま)中腹にあります。

善勝寺

創建当初は釈善寺と号していましたが、田村麻呂の東征勝利に因んで改称したのだそうです。

善勝寺には次のような御詠歌が残っています。

鬼にさえ 善く勝つ寺ときくからに なほたのまるる 人ののちのよ

善勝寺の境内奥地にある墓地の中に、2m四方もある一際目立つ巨石があります。これが大嶽丸の首を埋めたという“鬼の首塚”です。

鬼の首塚

討伐時の戦利品も埋められていると伝えられており、かつて村人がその北面の崖を掘ったところ古墳のような構造になっていて、約3m下には石垣のようなものもあったそうです。

鬼の首塚のあるこの一帯、何やらまがまがしい空気で包まれているような雰囲気を感じます。あながち“単なる御伽噺(おとぎばなし)” ではないような気もします。

なお田村麻呂が7日間籠ったというこの善勝寺。

実際はこの寺の境内ではなく、厳密には“奥の院”と呼ばれる場所であったとか…。

北向岩屋十一面観音

その“奥の院”と称される猪子山頂には、北向岩屋十一面観音(きたむきじゅういちめんかんのん)が祀られています。

この観音堂の奥にある岩屋には、高さ55cm程の石像の十一面観音が安置されています。

ここに籠って田村麻呂は祈願したと伝えられています。

十一面観音石像

またこちらの十一面観音は合掌する手に数珠を掛けており、全国的にも大変珍しいお姿をされています。

災厄消除と災害防除に御利益があるといわれており、毎年7月17日には千日会法要が盛大に勤行され、京阪神や中京方面からの多くの参拝者で賑わいます。

さらに毎月17日にも、近在の信者が多数参拝に訪れます。

ちなみに琵琶湖の絶景or夜景をご覧になりたい方にもおススメです。

奥の院からの眺望(1)

西は長命寺山(ちょうめいじやま)・八幡山から、北は遥か竹生島(ちくぶしま)まで。

そして滋賀のアルプス(?)ともいうべき雄大な比良(ひら)山系を正面に望むことが出来ます。

噂では地元のカップルが夜景を楽しむスポットにもなっている…らしいですよ(*^_^*)

奥の院からの眺望(2)

なお、猪子山を訪れる際にご注意いただきたいことがございます。

急傾斜の細いヘアピンカーブの連続ですので、クルマで訪れるにはそれなりの運転テクニックが必要です。

また徒歩での訪問なら、それなりの体力を要します(クルマで訪問しましても、駐車場から頂上までは約300mの階段参道を登らねばなりません)。

また夜間の来訪はシーズンを問わず様々な危険要素を伴いますので、細心の注意を払い自己の責任のもとでトライしてください。くれぐれもご無理をなさいませんように。

最後に豆知識。

因縁浅からぬ鈴鹿山(鈴鹿峠)の近く、甲賀市土山町北土山には坂上田村麻呂を祭神として祀っている田村神社があります。

田村神社

開運厄除・交通安全・家内安全・八方除けにとてもご利益があるとされ、滋賀を始めとして中京圏からも連日多くの参拝者が訪れています。

特に毎年2月17~19日には厄除大祭・田村まつりが催され、開運厄除を願う人々で賑わいます。先日も妻の本厄除のご祈祷をお願いしてきたところです(^^)

参拝後は、神社と国道1号を隔てた向かい側にある道の駅・あいの土山での休憩をおススメします。特にフードコートで供されるうどんは、お味もなかなかにとてもリーズナブル!あとは1回400円でやりたい放題(?)の抹茶ソフトクリームにも是非チャレンジしてください(^^)

それでは早速…鬼は~そと♪ 福は~うち♪(^^)

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ヒトリハミナノタメニ“比夜叉御前”の伝説

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今回は多くの人々を助けるために犠牲となった悲劇の女性、比夜叉御前(ひやしゃごぜん)についてのお話をいたしたいと存じます。

冬の三島池

本題に入る前に、このお話の舞台となります三島池に関する豆知識を少々…。

別名“比夜叉池”とも呼ばれ、米原市池下(旧・坂田郡山東町エリア)にあります。

周囲は約910m。 面積37,603㎡、水深は80cm(雨季は120cm)で、南北に長い楕円形をしています。

今から約880年前の平安時代末期。時の領主であった佐々木秀義(ささきひでよし/源頼朝挙兵に尽力した近江源氏の祖)によって、姉川の伏流水を利用して灌漑用貯水池、つまり農業用水確保のために人工的に造成された池と言われています。

池の周囲には桜・柳・紅葉などが植樹され、霊峰・伊吹山を背景とする景勝地として(特に写真愛好家の中では)全国的にも有名なスポットです。

三島池の水鳥

また水質は清冷で多くの生物が生息し、マガモ・カイツブリ・バン・オシドリ・オナガガモ・ホシハジロ・キンクロハジロ・ミコアイサ・サギといった多くの水鳥や野鳥が飛来します。

特に地元中学校の科学クラブによる2年間の観察の結果、「マガモ自然繁殖の南限地」であることが判明し、昭和34(1959)年には滋賀県の天然記念物に指定され、この地の存在は学術的にも高く評価されています。

ではここからが本題です。

その年は例年になく日照りが続き、農業に欠かせない池の水が涸れてしまいました。領主の佐々木秀義は、池に水の無いことを心配して祈祷師に占ってもらいました。すると「1人の女を池の中に沈めて水神に祈れば、水が絶えることは無くなるであろう」とのお告げが出ます。

早速秀義は人柱となる女を領内から募りますが、喜んで申し出る者など誰一人としてありはしません。沢山恩賞を出すとも触れましたが、反応は皆無でした。

むしろ領内では「誰が人柱になるのか?」という疑心暗鬼と不安が蔓延するばかり…。

三島神社から望む夏の三島池【滋賀県提供】

ある日のこと。

秀義の乳母である比夜叉御前が機織りをしている時、偶然外で村人がこの人柱の話をしているのを聞いてしまいます。

そして、その日の夜。比夜叉御前は織った機を抱えたまま池の畔に向かい、人知れず僅かに水の残る池に身を投じました。

翌朝、池は溢れんばかりの水を湛えていました。歓喜に沸く村人たちとは対照的に、事の真相を知った秀義はとても嘆き悲しみ、比夜叉御前をこの池の水神として祀りました。

それ以来、この池の水は如何に酷い干ばつに襲われても、水が涸れることは無いそうです。また雨の降る夜には池の底から機織りの音が聞こえてくると言います。

三島神社

池の西岸に鎮座する三島神社の鳥居横に、ひっそりと石塔が建立されています。
ちなみにこの神社は、佐々木氏の氏神とされています。

これが“比夜叉女墓(ひやしゃひめはか)”であると伝えられています。

比夜叉女墓

なお現在の姿は地元有志によって整備されたもので、昭和61(1986)年には供養塔が建立されています。

そして比夜叉御前の墓には松が植えられ、それが機織松(“はたおりまつ”または比夜叉松)と呼ばれ現在でも大切に守られています。

機織松

なお、比夜叉御前にまつわるこんな古い歌が今でも残っています。

名にも似ず 心やさしき たをやめの
誓も深く みつる池水

夜叉(鬼神)という名前に似ても似つかぬ心やさしい女のお陰で、お告げの通りこれまで池の水は涸れずに満ちている。

比夜叉御前が護った池は、現在水鳥たちの楽園と人々の憩いの場になっています。

ナゼだか野良猫たちの穴場にもなっていますが…(>_<)

ノラの日向ぼっこ

水鳥さんたちとケンカにならないことを願います(^^)

今回の記事編集に写真をご提供いただきました滋賀県庁広報課様。この場を借りまして厚く御礼申し上げます。

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琵琶湖と三上山~日の出

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昨年は 躍動の1年 でございました。今年は飛躍の1年として邁進いたす所存でございます。本年も相変わりませぬご贔屓を賜りますようお願い申し上げます<(_ _)>

なお自身の技術力の稚拙さと時間不足から、未だアーキテクチャーの完全復旧に至っておりません。牛歩ではございますが少しずつ作業を進めておりますので、引き続き生温かい眼でお見守り賜れば幸甚です。

今頃・・・2年振りに地元の氏神様の元旦祭に参賀している・・・ハズです(^^)v

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